マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「女性」「女」「人」

 ――「女として」「男として」? それとも「人として」?

 の問いについて――

 きのうの『道草日記』で触れました。

 

 この問いは――

 結局のところ――

 自分の性別がどちらであり、かつ、異性・同性どちらに関心が向かうか――

 に、よります。

 

 よって――

 例えば、僕自身の話をすれば――

 僕は男であり、異性に関心が向かうものですから、

 ――「女として」「男として」? それとも「人として」?

 の問いは、

 ――相手を女としてみるか人としてみるか。

 の問いに集約されます。

 

 この問いの答えを曖昧にしたいときがあります。

 必ずしも女としてみたいわけではないが、かといって、人としてみたいわけでもない――そういうときが、あるのです。

 

 そういうときに――

 しばしば僕が使うのは、

 ――女性

 という言葉です。

 

 ――相手を女性としてみる。

 などといいます。

 便利な言葉です。

 

 この、

 ――女性

 という言葉――

 たしかに、便利なのですが――

 

 では、

 ――女

 という言葉と何が違うのか――

 あるいは、

 ――人

 という言葉との関係性はどうなっているのか――

 といったことを突きつめて考えていくと、なかなかに厄介です。

 

 きょうは、辞書的な意味だけを述べます。

 「女性」とは、

 ――女の子が成人をしたもの

 です。

 つまり、

  女性 = 人と成った女

 と理解できます。

「女として」「男として」? それとも、「人として」?

 相手を、

 ――女として

 みるか、

 ――男として

 みるか――

 それとも、

 ――人として

 みるか――

 

 それは――

 なかなかに厄介な問題です。

 

 もちろん――

 日常生活の大半では、“人として”みるのがよく――

 “女として”あるいは“男として”みる事態は、かなり稀です。

 

 が――

 日常生活の稀少な場面では、ときに相手を“女として”あるいは“男として”みなければならない事態が起こります。

 

 そのようにみなければ、事態を適切に把握できない――あるいは、適切に行動できない――ということが、起こりうるのです。

 恋愛の場面などが、その典型です。

 

 が――

 そのような事態は稀にしか起こりませんから――

 例えば、“女として”みるか、あるいは“男として”みるか――それとも、“人として”みるか――といった問いが学問的な色彩を帯びることは、まず、ありません。

 

 それだけの普遍性を見出しにくい――実際のところ、まったく普遍性がないわけではないのでしょうが、少なくとも、その普遍性を見出しにくい――

 そういう背景が、

 ――「女として」「男として」? それとも「人として」?

 の問いにはあります。

「粋」の問題が面白いわけ

 ――粋(いき)

 の最大の不思議は――

 その性質(魅力)が、

 ――女として

 ものなのか――

 あるいは、

 ――男として

 のものなのか――

 

 それとも、

 ――人として

 のものなのか――

 

 それが――

 いま一つ判然としないところにあります。

 

 それゆえに、

 ――「粋」とは何か。

 の問いに答えを見出す試みが、俄然、面白くなるのです。

 

 この『道草日記』で連日、述べてきたように――

 「粋」とは「色気の嗜(たしな)み」です。

 

 「色気」が関わっていますから――

 もちろん、性に依存する性質――女としての性質、あるいは男として性質――といえます。

 

 が――

 それだけではない――

 

 「嗜み」も関わっていますから――

 「粋」は、性に依存する性質であると同時に、人に依存する性質でもあるのです。

 

 そのように整理がついてしまえば、「粋」の問題は、とりあえずは、それほど不思議ではなくなります。

 

 要するに――

 それは、相手を、

 ――女としてみるか、人としてみるか――

 あるいは、

 ――男としてみるか、人としてみるか――

 という根の深い問いなのです。

 

 そうした整理がつくまでは、「粋」は、

 ――これって、何だろう?

 と考えずにはいられない問題であり続けるでしょう。

“男性が女性に感じとる「粋」” の具体例

 きょうは――

 2)男性が女性に感じとる「粋」について――

 その具体例を挙げましょう。

 

 僕は、この “男性が女性に感じとる「粋」” こそが、

 ――最も粋らしい「粋」である。

 と考えています。

 つまり、きのうの『道草日記』で触れた、

  1-1)男色の観点から捉えられるべき「粋」

 や、

  1-2)女性の主観を介在させる間主観的な「粋」

 ではなく、

  2)男性が女性に感じとる「粋」

 こそが、

 ――「粋」の本流である。

 ということです。

 

 “本流”ですから――

 具体例を挙げることは、いくらでもできそうですが――

 きょうは、あえて1つに絞ります。

 

 その1つの具体例とは、

 ――仰(の)け衣紋(えもん)

 です。

 ――抜(ぬ)き衣紋

 ともいいます。

 和装の着こなしの一つです。

 いわゆる着物の後ろ襟(えり)を引き下げ、襟足――首筋の後ろ髪の生え際――が露わになるような着付けの仕方を指します。

 おわかりのように、和装では、体の曲線や肌の曲面が露わになることは、ほとんどありません。

 が、仰け衣紋では、首筋が露わになるのです。

 このような着こなしを女性が和装で行えば、独特の色気が醸し出されることは、容易に想像がつきます。

 

 ここで大切なことは――

 なぜ着物の後ろ襟を引き下げてまで、首筋を露わにするのか――

 です。

 

 ――色気を醸し出すため――

 ではありません。

 もし、そうなら、仰け衣紋が「粋」となることはありえません――色気を誇示するためだけの仰け衣紋は、おそらく野暮もよいところでしょう。

 

 では、何のためなのか――

 

 着物や髪を守るためです。

 仰け衣紋は、着物の後ろ襟と日本髪(にほんがみ)の髱(たぼ)とが触れ合って、互いを汚したり乱したりしないようにするための着付けでした。

 日本髪というのは、古墳期から昭和前期にかけ、この国で固有に発達してきた女性の髪の結い方で、その結い方の後頭部の辺りは「髱」と呼ばれました。

 この髱が、仰け衣紋なしでは、後ろ襟に触ってしまうのですね。

 それを避けるのが仰け衣紋の当初の狙いでした。

 この狙いが、少なくとも建前としては残り続けたことで、仰け衣紋は「粋」であり続けたといえます。

 

 それは――

 一言でいえば、

 ――色気を醸し出すためではないのだが、結果として、色気を醸し出すことになっている。

 という葛藤が嗜みとして結実したもの――

 といえます。

「粋」の性差ごとの具体例

 ――粋(いき)

 の性差を考える場合は、「粋」が「男の関心事」であることに留意をした上で、

  1)男性が男性に感じとる「粋」

  2)男性が女性に感じとる「粋」

 に分けて考えて――

 これらのうち、“男性が男性に感じとる「粋」” については、

  1-1)男色の観点から捉えられるべき「粋」

  1-2)女性の主観を介在させる間主観的な「粋」

 に分けて考えればよい――

 ということを、きのうまでの『道草日記』で述べてきました。

 

 以下――

 具体例をみていきましょう。

 

 まず、1-1)についていうと――

 これは、男色がわからない者には決してわかりません――その具体例を挙げることさえ、できない――

 

 幸か不幸か、僕は男色がわかりませんので――

 あえて、1-1)の具体例を挙げることはしません。

 

 が――

 1つ述べ添えておきたいことがあります。

 

 それは、

 ――女性の色気を仕立て上げている男性との色事は男色ではありえない。

 ということです。

 日本に限らず、古今東西、男色が絶えたことはなかったようですが、男性同士が男性として色事を成す男色と、どちらかが女性に偽装して色事を成す男色とでは、意味合いが異なります。

 日本の江戸期の陰間(かげま)などは、女装が鍵を握っていたようですので、その色事を男色とみなすのは、おそらくは適当でありません。

 

 次に――

 1-2)女性の主観を介在させる間主観的な「粋」について――

 

 この「粋」の具体例としては、少し曖昧になりますが――

 例えば、男性が他の男性をみて、

 ――こいつは女にモテる。

 と深く感じ入るときの「粋」が挙げられます。

 もう少し詳しくいうと、

 ――俺は女ではないから本当のところはわからないが、もし俺が女だったら惚れてしまうかもしれん。

 と思うような「粋」です。

 そういう男性が実際に女性から好感をもたれるとは限らないのですが、本質的には、男性の視点でみて「こいつは女にモテる」と思わず唸りたくなるような魅力が有るか無いかが大切です。

 そのような男性は、女性の視点からはともかく、男性の視点からみたら、間違いなく魅力的であり、それは少なくとも、1-1)の「粋」とは無縁の魅力でしょう。

 

 あえて日本の江戸期に具体例を見出すとしたら――

 例えば、いわゆる二枚目の歌舞伎役者に対して男性の贔屓筋たちが認めていた魅力の中核には、この種の「粋」があったに違いありません。

 

 2)男性が女性に感じとる「粋」については、あす――

“男性が女性に感じとる「粋」” には不知の要素が大きい

 ――“男性が女性に感じとる「粋」” は危うく張りつめている。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 この緊張感の由来は――

 きのうの『道草日記』で述べたように――

 男性の感性と女性の理性との鬩(せめ)ぎ合いです。

 

 主体となる男性は、客体となる女性の色気をいかに察知するか――

 客体となる女性は、主体となる男性の嗜みをいかに体現するか――

 

 客体となる女性は、自身の色気がどんなふうに醸成されているかが、わかりません。

 自身の女性としての色気が男性にどのように察知されるか、女性には、基本的にはわかりようがないからです。

 

 主体となる男性は、自身の嗜みがどんなふうに喝破されているかに、気づきません。

 自分が好ましく思う色気の嗜み方が意図的に実践されていることに気づいたら、ただの「媚び」になるからです。

 

 “男性が女性に感じとる「粋」” では――

 客体の女性の理性と主体の男性の感性と――

 そのどちらにも不知の要素が大きいからこそ――つまり、「わからない」や「気づかない」の要素が少なからず残るからこそ――緊張感が漲(みなぎ)ると考えられます。

 

 “男性が女性に感じとる「粋」” というのは、主体の男性にとっては、手のひらの上で愛でるような気安さがなく、また、客体の女性にとっては、頭の中で造りあげるような手堅さがないのです。

“男性が女性に感じとる「粋」” は危うく張りつめている

 ――「粋(いき)」の性差を考える場合は、“男性が男性に感じとる「粋」” と “男性が女性に感じとる「粋」” との2つを考えればよく、これら2つの「粋」のうち、“男性が男性に感じとる「粋」” については、“男色の観点から捉えられるべき「粋」” と “女性の主観を介在させる間主観的な「粋」” との2つに分けて考えればよい。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 きょうは、

 ――男性が女性に感じとる「粋」

 について考えてみましょう。

 

 11月4日の『道草日記』で述べて以降、

 ――粋

 とは、

 ――色気の嗜(たしな)み

 であると、繰り返し述べてきました。

 

 “男性が女性に感じとる「粋」” についていえば――

 この場合の「色気」とは、

 ――男性が女性から感じる色気

 であり、つまりは、通常の男性視点の色気ですから、とくに注意をする必要はありません。

 

 注意を要するのは、「嗜み」のほうです。

 

 “男性が女性に感じとる「粋」” では、客体となる女性の色気の嗜み方が主体となる男性の好みなのです。

 つまり、男性が好ましく思うような色気の嗜み方をしている女性に対して男性が感じとる性質――それが、

 ――男性が女性に感じとる「粋」

 の実態といえます。

 

 この場合に、客体となる女性は、当然ながら、ある程度は、主体となる男性に媚びていることになります。

 わざわざ男性が好む色気の嗜み方をするのですから、それは、あきらかに男性への迎合といえます。

 

 が――

 媚びていることが主体となる男性に伝わってしまうと、もう、それは「粋」ではない――ただの「媚び」です。

 

 つまり――

 “男性が女性に感じとる「粋」” というのは――

 客体となる女性が、主体となる男性に対し、その「媚び」の意図に気づかれない程度に媚びてみせることで――要するに、男性が好ましく思うように色気を嗜んでみせることで――初めて成り立つ「粋」なのです。

 

 それは、男性の感性と女性の理性――正しくは「悟性」――とが鋭く対立して拮抗する際にのみ生じる性質です。

 この意味で、“男性が女性に感じとる「粋」” というのは、

 ――実に危うく張りつめた性質である。

 といえます。

“男性が男性に感じとる「粋」” には2つある

 ――「粋(いき)」は「男の関心事」といえるので、「粋」の性差を考える場合には、“男性が男性に感じとる「粋」” と “男性が女性に感じとる「粋」” との2つを主に考えればよい。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 もちろん、“女性が男性に感じとる「粋」” や “女性が女性に感じとる「粋」” も想定はできますが――

 それらは、あくまで理屈の上での概念であり、現実には、十分には成立しえない概念ではないか――あるいは、女性が感じとる「粋」というは、実態としては、男性の主観を介在させる間主観的な「粋」ではないか――

 ということです。

 

 よって――

 以下、“男性が男性に感じとる「粋」” と “男性が女性に感じとる「粋」” とに絞って考えることにします。

 

 まずは、

 ――男性が男性に感じとる「粋」

 から考えてみましょう。

 

 「粋」が「色気の嗜(たしな)み」である以上、“男性が男性に感じとる「粋」” を考えるならば、どうしても、

 ――男の色気

 を考えないわけにはいきません。

 

 よって――

 ここから、さらに話がややこしくなるのですが――

 僕は「男の色気」には2つあると思っています。

 1つは、

 ――男性が男性から感じる色気

 で、もう1つは、

 ――女性が男性から感じる色気

 です。

 

 簡単にいうと――

 前者は、男性が男性によって性的欲求をかきたてられることであり、要するに男色のことで――

 後者は、女性が男性によって性的欲求をかきたてられることであり、通常の女性視点の色気です。

 

 よって、“男性が男性に感じとる「粋」” を考える場合も2通りに場合分けをする必要があります。

 つまり、男色の「粋」か女性視点の「粋」かの2通りです。

 

 ここでいう「女性視点」には注意が必要でしょう。

 いま僕らは、“男性が男性に感じとる「粋」” のことを考えていますから、「女性視点」とは、

 ――男性が女性の主観を介在させる間主観的な視点

 ということになります。

 

 つまり、“男性が男性に感じとる「粋」” というのは、

 ――男色の観点から捉えられるべき「粋」

 と、

 ――女性の主観を介在させる間主観的な「粋」

 との2つを指しているのです。

 

 かなり話が煩雑になってきましたね(笑

「粋」は実は4つに分けるのがよい

 「粋(いき)」は、

 ――男性の「粋」

 と、

 ――女性の「粋」

 との2つに分けられる――と、きのうの『道草日記』で述べましたが――

 本当は、2つではなく、4つにわけるのがよいと思っています。

 

 すなわち、

 ――男性が男性に感じとる「粋」

 と、

 ――男性が女性に感じとる「粋」

 と、

 ――女性が男性に感じとる「粋」

 と、

 ――女性が女性に感じとる「粋」

 との4つです。

 

 「粋」は「色気の嗜(たしな)み」である、ということは――

 この『道草日記』で連日、述べてきました。

 

 一方、「色気」とは、性差に根ざした知覚・感覚のことです。

 

 「色気」が、性差を無視はできず、かつ、知覚・感覚に深く根差している以上――

 「粋」もまた、性差を無視はできず、かつ、知覚・感覚の主体・客体の区別(誰が誰の知覚・感覚をしているのか)もまた、無視はできません。

 

 つまり――

 男性が知覚・感覚の主体か客体か、女性が知覚・感覚の主体か客体かで、4通りの場合分けが必要になってくるのです。

 

 が――

 きのうの『道草日記』で述べたように、「粋」は「男の関心事」というのなら――

 4つ全ての場合を考える必要はありません――2つでよい――

 ――男性が男性に感じとる「粋」

 と、

 ――男性が女性に感じとる「粋」

 との2つです。

 

 もちろん、女性も、男性に粋を感じうるし、女性にも粋を感じうるでしょう。

 が、多くの場合は、男性の主観を介在して――つまり、間主観的に――感じているに違いありません。

 少なくとも、日本の江戸期・深川の芸者などは、そのように「粋」をとらえていたはずです。

「粋」は「男の関心事」といってよい

 「粋(いき)」が「色気の嗜(たしな)み」である以上、

 ――男性の「粋」

 と、

 ――女性の「粋」

 とは区別されるのが自然でしょう。

 

 きのうまでの『道草日記』では、あえて男女の「粋」を区別しませんでした。

 4日前の『道草日記』で述べたように、

 ――粋は人物に固有の現れ方をする。

 という考えを採るならば、「粋」の性別に注目をしても、あまり意味がないからです。

 

 以上のことを踏まえ――

 以下のことを考えてみたいと思います。

 

 すなわち、

 ――「粋がる」というときの「粋」は、ほぼ必ずといってよいほどに、男性の「粋」を意味しているのではないか。

 という問いです。

 

 ――おめぇ、粋がってんじゃねぇよ!

 というときの「おめぇ」は、まあ、たいていは男性でしょう――女性ということが、どれほどあるでしょうか――

 

 このことは、

 ――「粋」を醸し出したがるのは女性よりも男性のほうである。

 という傾向の存在を示唆しています。

 

 そのような傾向は、たしかに存在するのでしょうか――

 

 ……

 ……

 

 ちょっと、すぐには答えを出せそうにありませんが――

 

 1つ、いえそうことは、

 ――「粋」に強い関心をもっているのは女性よりも男性のほうである。

 です。

 それは、「粋」が「色気の嗜(たしな)み」であることを思えば、当然のことかもしれません。

 

 ――色気

 も、

 ――嗜み

 も、たぶん女性より男性のほうが口喧しく論じたがります。

 

 まったく別次元の事柄だろうと思いますが――

 どういうわけか、どちらも、つい男性が気にしてしまうような事柄です。

 

 ――粋

 は、

 ――男の関心事

 といってよいように思います。