マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

その“災厄”に見舞われている人たちへの心からの共感を示す

 韓国に約束の結び直しを地道に求めていく際には、韓国が抱える歴史的な背景を十分に踏まえる必要がある、ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 「韓国が抱える歴史的な背景」とは、

 ――韓国は、分断されて互いに(少なくとも形式的には)争っているうちの片方である、ということ

 および、

 ――韓国は、分断される前は、小中華思想という独特の思想で統べられた国家であった、ということ

 の2点です。

 

 では――

 具体的には、どうするのか――

 

 つまり、①「韓国は、分断されて互いに(少なくとも形式的には)争っているうちの片方である、ということ」を踏まえるとは、具体的にどういうことか――

 また、②「韓国は、分断される前は、小中華思想という独特の思想で統べられた国家であった、ということ」を踏まえるとは、具体的にどういうことか――

 

 まずは、①「韓国は、分断されて互いに(少なくとも形式的には)争っているうちの片方である、ということ」について――

 

 この①は、人類史上そう多くはみられない“災厄”に直結しています。

 その“災厄”に見舞われている人たちへの心からの共感を示す――それが①を踏まえるということです。

 

 ここでいう「“災厄”」とは、

 ――朝鮮半島の人たちが外国の武力によって分断され、別々の政権によって統治されるに至った

 という経緯です。

 この経緯は、朝鮮半島の人たちにとっては、耐えがたい不幸です。

 その不幸は、我が身に置き換えてみれば――つまり、もし自分たちの国家がそうなっていたらどうか、を想像してみれば――よくわかります。

 

 第二次世界大戦末期――

 ソビエト連邦は日ソ中立条約の有効期限が半年以上も残されている時点(1945年8月9日)において、日本への侵略を開始しました。

 

 その5日後に、当時の日本政府は、いわゆるポツダム宣言の受諾を決断し、その翌日に、昭和天皇玉音放送で、もはや抗戦の意志がないことを公表したのですが――

 ソビエト連邦は一向に侵略の手を緩めず、南樺太や千島列島に侵入し、さらに北海道から東北地方への侵入を窺っていたといいます。

 

 このソビエト連邦軍の侵略に、当時の日本軍は、ポツダム宣言を受諾した後も、激しく抵抗をしました。

 その結果、北海道や東北地方の占領は防ぐことができたと考えられます。

 

 が――

 もし、当時の日本軍が、ポツダム宣言の受諾を理由に、一切の抵抗を放棄していたら――

 おそらく、北海道や東北地方にソビエト連邦軍が駐留していたはずです。

 

 そうなっていれば、北海道や東北地方は、今日の北朝鮮と同じような道をたどったことでしょう――

 つまり、日本列島も、朝鮮半島と同じように、2つに分断されることになった――

 

 そうなっていた場合の今日の日本列島の状況を想像するに――

 それは、紛れもない“災厄”です。

 

 東北地方と関東地方との間に軍事境界線が引かれ、同じ日本人同士が武装をし、常に向き合っている――

 想像もしたくない光景です。

 

 そのような“災厄”に、朝鮮半島の人たちは――もちろん、韓国の人たちも――いま見舞われています。

 

 ②「韓国は、分断される前は、小中華思想という独特の思想で統べられた国家であった、ということ」については――

 あす――