マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

男は女性を「女」とみ、人は女性を「人」とみる

 主に「女性」という言葉をめぐって――

 ずいぶん言葉遊びに入れ込んでしまいましたが――

 

 きょうの『道草日記』では――

 話をもとに戻します。

 

 なぜ「女性」について考えていたのか――

 

 それは、3日前の『道草日記』で述べたように、

 ――相手を女としてみるか人としてみるか。

 という問いに答えるためでした。

 この場合は、「相手」というは、たいていは女性であり、「みる」の主語は、たいていは男性です――そうでない場合もありますが、その話は措きます。

 つまり、「相手を女としてみるか人としてみるか」の問いは、

 ――男性は女性を、いかにして女とみるか、あるいは、いかにして人とみるか。

 という問いに同じといえます。

 

 ここで、

  女性 = √女 × √人

 の図式を思い浮かべるのが、よいでしょう。

 この図式が意味していることは――少なくとも直感的に意味していることは――「女性」という概念における「女」と「人」との不可分性です。

 つまり、「女」という概念と「人」という概念とが混然一体となって「女性」という概念が形成されている、ということです。

 

 一方、「男性」についても、同じことがいえるはずで――

 つまりは、

  男性 = √男 × √人

 です。

 

 以上のことに留意をしながら、「男性は女性を、いかにして女とみるか、あるいは、いかにして人とみるか」の問いに答えるとするならば、

 ――男性は、女性を自身の性的欲求の対象とみなすときには女とみて、みなさないときには人とみる。

 となります。

 このときに、女性を女とみている男性は「男」であり、人とみている男性は「人」である、となります。

 要するに、

 ――男は女性を「女」とみ、人は女性を「人」とみる。

 ということになります。