マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“男女の問題”は無意識の問題に絡めると面白くなる

 ――男性も女性も、自分の性的欲求の対象を意識的には設定できないことから、いわゆる“男女の問題”が始まる。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 つまり、

 ――男女の問題

 は、心の意識・無意識の問題と密接に関連している――

 ということです。

 

(それゆえにこそ、“男女の問題”は面白いのだ)

 と、僕は思っています。

 

 いわゆる“男女の問題”については、両極端の見方があるようです。

 ――実に興味深い問題だ。

 という見方と、

 ――実に下らない問題だ。

 という見方との2つです。

 

 この違いは、どこに由来するのか――

 

 僕は、

 ――無意識の問題に絡めるか否か。

 に由来すると考えています。

 無意識の問題に絡めれば、“男女の問題”は輝きを放ちますが、絡めなければ、くすみが淀みます。

 

 “男女の問題”は、なぜ無意識の問題に絡めることで面白くなるのか――

 

 “男女の問題”の二層構造が明らかになるからです。

 

 いわゆる“男女の問題”を――

 心の意識の及ぶ範囲だけで論じようとすると、実に不可思議な問題に思えてきます。

 

 その不可思議さには、なかなかの奥行きがあります。

 

 一方――

 心の意識の及ばない範囲も含めて推し測ろうとすれば、それほど不可思議な問題ではなくなります。

 

 むしろ、

 ――生殖を司る自然の摂理

 をよく暗示しているともいえる――

 

 こうした落差を楽しめるようになる、というのが――

 “男女の問題”を無意識の問題に絡めることの意義でしょう。