マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“心が眠っていない状態”とは?

 ――「意識」とは、基本的には“心が眠っていない状態”のことである。

 と、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 これは、「意識」の定義と呼ぶには、あまりにも漠然としていて、考察や議論のとりかかりにすら、なりにくいのですが――

 この命題をとりあえずの踏み台にしていくことは、ただやみくもに「意識」を考えたり論じたりするよりは、建設的でしょう。

 

 では――

 この、

 ――心が眠っていない状態

 とは、どういう状態なのか――

 

 よく、

 ――意識は“演劇の舞台”に喩えられる。

 などといわれます。

 

 なぜ“演劇の舞台”なのか――

 

 舞台を明るく照らす機能が、意識の性質によく似ているからです。

 

 意識は、清明性と可及性との少なくとも2つの基準で評価できます。

 「清明性」というのは、

 ――意識の及ぶ範囲がどれほど明瞭に認識されているか。

 です。

 「可及性」というのは、

 ――意識の及ぶ範囲がどれほど広範に認識されているか。

 です。

 「清明性」は舞台を照らす明かりの強さに擬せられ、「可及性」は舞台の照らされる部分の広さに擬せられます。

 

 ――心が眠っていない状態

 というのは、これら清明性や可及性が、

 ――ゼロではない状態

 のことです。

 裏を返すと、

 ――ゼロである状態

 とは、

 ――心が眠っている状態

 です。

 

 きのうの『道草日記』では、

 ――夢をみている状態

 は例外だと述べました。

 

 夢をみているのですから、心は眠っているわけで、ふつうに考えれば、清明性も可及性もゼロのはずですが――

 夢をみたことのある人なら誰でもわかるように、夢をみているときには、多少なりとも清明性や可及性が認識されえますから――

 “夢をみている状態”は“心が眠っていない状態”――つまり、

 ――意識

 に含められるのです。