マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

権威主義から民主主義へ

 ――新型コロナ危機が終息した後で第3次世界大戦が始まるかもしれない。

 という懸念について――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 もし――

 本当に第3次世界大戦が始まるとしたら――

 それは、

  中国 対 アメリ

 の対立を基軸とした、

  権威主義 対 民主主義

 の擾乱となるのでしょう。

 

 ――権威主義

 というのは――

 簡単にいってしまうと、

 ――権威への服従を基本とすると社会思想あるいは社会体制

 のことです。

 

 ――独裁主義

 と呼んだり、

 ――専制主義

 と呼んだりしてもよいのですが――

 「独裁」や「専制」は言葉が悪すぎるので、権威主義に属している人たちには受け入れられない呼称でしょう。

 

 人類の歴史をみると――

 大まかな流れがあるように思います。

 

 それは、

 ――権威主義から民主主義へ

 という流れです。

 

 近代以前――

 王国や帝国など、権威主義の国家が多数派でした。

 

 近代以後――

 民主主義の国家が多数派になろうとしています――少なくとも、いわゆる先進国のほとんどは民主主義の国家です。

 

 この流れは――

 そう簡単には変わらないように、僕には思えます。

 

 ……

 

 ……

 

 いわゆる新型コロナ・ウイルス感染症を機に――

 権威主義の国家である中国が、その特性を最大限に活かし、民主主義の国家である欧米諸国よりも円滑に危機を収束させている(ようにみえる)ことから、

 ――中国が、権威主義の優位性を誇示し、世界の覇権を握るのではないか。

 との見方があります。

 

 ひょっとすると――

 短期的には――

 そういうことが起こりうるかもしれません。

 

 が――

 中・長期的には――

 そうはならないでしょう。

 

 近代以後――

 人々や物資や情報が世界中を瞬く間に駆け巡るようになりました。

 

 そのような現代社会において――

 民主主義は、思想や体制として、十分に現実的なのです。

 

 とくに情報がもたらす影響は大きいと感じます。

 

 世界中を瞬く間に駆け巡る情報にも色々あるわけですが――

 その要点をあえて一つ指摘するとしたら、

 ――人の能力や性質に大差はない。

 ということです。

 

 小差なら――

 いくらでもあります――それが、例えば貧富の差や権力の有無に関わっている――

 

 が――

 もとをただせば、大差はない――

 少なくとも、ヒトとしては――あるいは、生物種の1つとしては――大差はない――

 例えば、脳や体の働きが異次元に違うということはない――隣町に住む町内会長も地球の裏側に住む国家元首も、もとをただせば、そんなには違わない――

 そのことを、僕らは、テレビやインターネットなどがもたらす些細な情報によって、日々、確かめることができています。

 

 人一人ひとりの能力や性質に大差がないのであれば――

 誰か特定の個人や組織に絶対的な権威を見出すことは困難です。

 

 よって、

 ――民主主義

 を採るしかない――

 

 民主主義の社会では、そこに属する全ての有権者国家元首ないしは国家指導者になりうることが保証されます。

 

 この仕組みは、

 ――権威主義

 を前提にしたら、実にバカげてみえるのですが、

 ――人の能力や性質に大差がないのだから、仕方がない。

 というのが、

 ――民主主義

 の結論なのです。

 

 今後――

 中国に限らず、権威主義の国家が世界の覇権を握るとしたら、

 ――人の能力や性質には大差がない。

 という情報を隠蔽しなければなりません。

 

 そんな隠し事が地球規模で実行されうるとは――

 ちょっと僕には思えないのです。

 

 ――権威主義から民主主義へ

 の流れは――

 誰にもとめられないでしょう。