マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「かたやぶり」と「かたなし」と――

 ――“批判的思考”に則った教育が必要かどうかは、年齢ではなく、僕のいう“懐疑的思考”がある程度はできるようになっているかどうかで、判断をするのがよい。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――ある程度は――

 ということの真意は、

 ――完璧にできるようになるのを待っていてはいけない。

 ということです。

 

 ――懐疑的思考

 も、それなりに奥が深いものですから――

 それが完璧にできるようになるには、ずいぶんと年月がかかります。

 

 なので――

 待っていてはいけない――

 

 ある程度できるようになったら、“批判的思考”――および、その他の思考――を、どんどんやったらよい――

 そう思います。

 

 が――

 

 ――守(しゅ)・破(は)・離(り)

 の思想は大切です。

 

  規矩(きく)作法 

  守り尽くして

  破るとも

  離るるとても

  本を忘るな

 

 です。

 

 “批判的思考”に入れ込んでも――

 “懐疑的思考”を忘れてはいけない――

 

 ……

 

 ……

 

 以下は――

 有名な話です。

 

 僧侶で教育者の無着成恭さんが――

 ラジオ番組で子どもの悩み相談にお答えになっていた頃――

 

 「『かたやぶり』と『かたなし』の違いは何ですか」

 と訊かれ――

 こうお答えになったそうです。

 

 「そりゃぁ、あんた。型(かた)がある人間が型を破ると『かたやぶり』、型がない人間が型を破ったら『かたなし』ですよ」

 

 それをたまたま聴いていらしたのが――

 若き日の歌舞伎役者・十八代目中村勘三郎さんで――

 

 当時、劇作家で演出家の唐十郎さんが、すこぶる前衛的な舞台公演を、行政の中止命令を無視し、東京・新宿の公園にテントを立てて敢行をされていて――

 そのことに、いたく感銘を受けた中村勘三郎さんが、

 ――これぞ歌舞伎の原点だ。俺も、あのように歌舞伎をしたい。

 と思い――

 師匠であるお父様に直訴をされたところ、

 ――そんなことを考えている暇があったら、百回稽古をしろ。

 と窘(たし)められた、と――

 

 なぜ窘められたのかがわからず、ずっとモヤモヤしていた胸中を晴らしてくれたのが、子ども悩み相談への無着成恭さんのご回答であった――

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 当時――

 中村勘三郎さんは10代半ば――

 無着成恭さんは40代初めでした。

 

 くだんの舞台公演が催されたのは1969年だそうなので――

 そのように推測できます。

 

 ちなみに――

 唐十郎さんは三十路前でした。

 

 ……

 

 ……

 

 ――守・破・離

 の思想は――

 一見、固いようで、実際は、ずいぶん熱いのです。

 

 ――破

 や、

 ――離

 への熱い思いがあるから、

 ――守

 に格段の重きが置かれるのです。

 

 僕のいう“懐疑的思考”も、

 (そのようであるのがよい)

 と、僕は思っています。