マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

織田信長と豊臣秀吉との共通点・相違点

 織田信長は、豊臣秀吉と同じく、喜気の強い人物であったが――

 それだけではなくて、

 ――比較的、冷静で楽観的な発想

 の持ち主でもあった――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 豊臣秀吉との違いは何か――

 

 端的にいうと、

 ――勇みやすさ

 の有無です。

 

 織田信長は勇みやすい人物であった、と――

 僕は思っています。

 

 一方――

 豊臣秀吉は勇みにくい人物であった――

 

 ……

 

 ……

 

 織田信長は勇みやすかったので――

 “満州地域”の人々と同じように、しばしば、

 ――比較的、冷静で楽観的な発想

 になりました。

 

 そのような発想になれなければ――

 例えば、桶狭間の戦いのように、伝統や格式のある隣国の領主(今川義元)を相手に一か八かの大勝負は挑めなかったでしょうし――

 そもそも、いわゆる群雄割拠の戦国時代に終止符を打とうと奔走をするようなこともなかったでしょう。

 

 が――

 勇みやすい人物にみられる弱点として、

 ――致命的な不注意

 というのが挙げられます。

 

 その弱点は、織田信長にもありました。

 

 僅かな兵士たちを率いて宿泊をしていた本能寺で、自分の家来であった明智光秀の軍勢に急襲をされ、命を落としたことは、その典型ですし――

 それ以前にも、やや軽はずみな決断から軍事的な危機を招くことがあったようです。

 

 一方――

 豊臣秀吉は勇みにくかったので、

 ――致命的な不注意

 という弱点からは自由でした。

 

 それゆえに――

 本能寺の変で横死を遂げた織田信長の後を継ぎ、最後まで油断をすることなく領土の拡張を続け、ついに戦国時代を終わらせるに至ったと考えられます。

 

 が――

 豊臣秀吉は、織田信長のように、

 ――比較的、冷静で楽観的な発想

 というのは、あまり採らなかったようです。

 

 桶狭間の戦いのような賭けに出ることはありませんでしたし――

 そもそも、織田信長の後を継ぐまでは、自分の力で戦国時代を終わらせようなどとは微塵も考えなかったでしょう。

 

 ……

 

 ……

 

 以上をまとめますと――

 

 織田信長豊臣秀吉も、ともに喜気は強かったけれど――

 織田信長は勇みやすく、豊臣秀吉は勇みにくかった――

 ということがいえます。