マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「本能寺で殺されていなければ――」と夢想をしても

 ――豊臣秀吉は日本人らしかったが、織田信長はそうではなかった。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 より具体的にいえば、

 ――織田信長は不安を感じやすい体質ではなかった。

 ということです。

 

 ……

 

 ……

 

 織田信長については――

 しばしば、

 ――織田信長が本能寺で明智光秀に殺されていなければ、日本はどうなっていたか。

 との問いが、主に娯楽の目的で、なされます。

 

 もちろん、

 ――歴史に「イフ」はない。

 と考えられますから――

 そのような問いには、少なくとも実際的な意義はありません。

 

 が――

 娯楽が目的なら――

 目くじらを立てる必要はないでしょう。

 

 そのことを前提にした上で――

 その問い「本能寺で殺されていなければ――」のことを、僕は、

 ――つまらない。

 と捉えています。

 

 ――織田信長本能寺の変明智光秀に殺されていなければ――

 と夢想をしたところで、

 ――織田信長は、たとえ本能寺でなくても、いつかは明智光秀に殺されていたであろうし、たとえ明智光秀でなくても、他の誰かに殺されていたであろう。

 といえるからです。

 

 織田信長は、日本人らしさに欠け、慎重さに欠けていました。

 それゆえに、日本列島に統一政権を打ち立てることは難しかったでしょう。

 

 本能寺の変の頃の織田信長は、まだ九州・中国地方・関東地方などに強敵を抱えていました。

 

 よって、本能寺の変が起こらなくても――

 それら強敵と向き合うなかで、いつか、本能寺の変と同じような、

 ――致命的な不注意

 を犯して頓死をしていたに違いないと、僕は考えます。

 

 仮に、幸運に幸運が重なって、統一政権を打ち立てることができたにしても――

 それを長らく保つことはできなかったでしょう。

 

 ほどなく政権内部に謀反や暗殺が起き、あっさり殺されるか、政権トップの座から転げ落ちていたに違いありません。

 

 豊臣秀吉は――

 織田信長よりも、ずっと慎重でした。

 

 その後を継いだ徳川家康は、さらに慎重でした。

 

 だからこそ――

 これら二人は、日本列島に統一政権を打ち立て、それを保つことができたのです。

 

 そして――

 二人とも、

 ――日本人は不安を感じやすい体質である。

 ということを、おそらくは、よくわかっていました。

 

 その日本人の特質をよくわかっていることが――

 この国を長らく平らかに保つには、必要なのです。