――アヘン戦争で決定的な役割を担ったのは、林(りん)則徐(そくじょ)ではなく、道光(どうこう)帝である。
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
ふつうは、
――アヘン戦争
といえば、
――林則徐
です。
――アヘン戦争の英雄
といういい方がされるくらいに――
林則徐の果たした役割が重視をされます。
僕も当初は――
そのように、みていました。
が――
……
……
林則徐は不思議な人です。
後世の者に、
(いったい何を考えていたんだろう?)
と思わせる人です。
……
……
僕が林則徐のことを知ったのは――
10代の半ばでした。
その頃の僕は、林則徐のことを、
――イギリスの武力を侮り、アヘンを強引に廃棄させた結果、イギリスの恨みを買って、その後、中国に不幸な歴史をもたらした人物
と、みていました。
ところが――
この人物が、なぜか歴史家たちから好かれているらしいことを知って、
(待てよ……)
と思い直すようになります。
そして――
林則徐が、アヘン戦争の決着がつく前に、欽差(きんさ)大臣――特命全権大臣――の任を解かれていることに、関心をもつようになりました。
林則徐は、イギリスの武力を侮ったわけでも、アヘン戦争に敗れた責任を問われて罷免をされたわけでもなかった、と――
今の僕は考えいてます。
強いていえば――
アヘン戦争の勃発の責任を問われて罷免をされました。
が――
林則徐自身は、イギリスの武力に最大限の警戒をいだいていたようです。
その上で――
アヘン戦争の勃発は、
――不可避
と、みていたようなところもあります。
……
……
林則徐が、
――アヘンの部分容認
を拒んで、
――アヘンの完全根絶
を説いたことは――
おとといの『道草日記』以降、繰り返し述べました。
林則徐は、なぜアヘンの完全根絶に踏み切ったのか――
それは――
アヘンを完全に断たなければ、ほどなく皇朝・清が滅ぶ、と――
考えていたからです。
いわゆるアヘン問題の要点は――
おとといの『道草日記』で述べたように、
――国内の人々の健康や社会の風紀が乱れること
と、
――基軸の財貨が国外へ大量に流出をすること
との2点でした。
この2点から導かれる当然の帰結として――
林則徐は、僅差大臣に任じられる前に、
――このままアヘンを完全に断たないでいれば、いずれは都を守る兵士たちがいなくなり、軍資金の財貨を集めることもできなくなる。そのことに思いが至れば、恐ろしさのあまり足が震えてしまう。
といった主旨のことを、道光帝へ直に伝えたといいます。
が――
アヘンを完全に断てば、イギリスのメンツが失われますから――
烈火のごとく怒り猛ったイギリス軍が都へ攻め寄せてくる危険性も高まります。
その危険性がわからなかったから――
林則徐はアヘンの完全根絶をもくろんだ、と――
10代の僕は思ったわけですが――
林則徐に限って――
そんなことはなかったろう、と――
今の僕は思うのです。
イギリスは、官吏や商人たちを遠い海の彼方から送り出してきている――
一方、自分たちは、官吏や商人たちを同じように遠い海の彼方へ送り出すことはできていない――少なくとも、同じようにやってはいない――
そんな状況で、イギリスとの戦争が始まれば、どうなるか――
皇朝の首脳部で中華思想――華夷思想――の悪弊にドップリ漬かっていた者たちなら、いざ知らず――
実際にイギリスの官吏や商人たちと丁々発止のやりとりをした結果、イギリス側が密かに蓄えていた全てのアヘンを見事に没収しきって廃棄してみせた林則徐なら――
それが、どれほど危ないことかは、すぐにわかったと思うのですね――
ちょうど、21世紀の僕らが、遠い銀河の彼方から送り出されてきた異星人たちを相手に戦争を始めることが、どれほど危ないことかが、すぐにわかるように――
つまり――
林則徐は、
――アヘンを完全に断っても完全に断たなくても、皇朝は、近い将来、倒れる。
と考えていたに違いないのです。
林則徐がアヘンの完全根絶を説き始めたのは――
イギリスの武力を侮ったからでは決してなく――
――何もしないで滅ぶよりは、何かをして滅ぼう。
そのように覚悟を決めたからではなかったか――
そう思います。