マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

林則徐――蒙昧な道化か義侠の名将か

 ――「アヘン戦争の英雄」と称えられる林(りん)則徐(そくじょ)は、不思議な人物である。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 その“不思議”は――

 時代の流れがよめていなかったようで、実は、よめていたようなところに――

 端を発しています。

 

 そして――

 その“不思議”は――

 林則徐が、

 ――何もしないで滅ぶよりは、何かをして滅ぼう。

 と覚悟を決めていたのだとすれば――

 それなりに輝きを放つのです。

 

 林則徐が今日の歴史家に称えられるのは――

 そうしたことによるのでしょう。

 

 林則徐は、近代史の価値基準でみたら、

 ――蒙昧な道化

 といわざるをえません。

 

 欽差(きんさ)大臣の任を解かれたとき――

 その報せをきいたイギリス遠征軍の指揮官は、

 ――喜ばしいことでございます。

 と迎合をしてみせた中国側の高官に対し、

 ――彼は才能と勇気とを併せ持った立派な行政官だ。惜しむらくは、国外の事情に疎かっただけである。

 と答えたそうです。

 

 この話は、林則徐がイギリス側からも敬意をもたれた美談として語られることが多いのですが――

 交渉の場に出てきた相手方の特命全権大臣を、無意識的にせよ「国外の事情に疎かった」と評したのは、これ以上ないくらいの侮蔑です。

 

 そのイギリス遠征軍の指揮官は、林則徐に対し、「敬意を払った」というよりは、「同情を禁じえなかった」とみるのが妥当ではないでしょうか。

 

 が――

 林則徐を、中世史の価値基準でみたら、

 ――義侠の名将

 なのですね。

 

 欽差大臣に任じられたとき――

 皇朝で相応の地位に着いていた友人から、

 ――あなたの幕僚に加えてほしい。

 との申し出があったのを丁重に断ったり――

 親しかった皇朝の高官に、

 ――死生は命なり、成敗は天なり。

 と語って互いに涙を流したり――

 といった逸話は、林則徐の人柄の温かさと志の高さとを雄弁に物語っています。

 

 僕は――

 林則徐は、近代の価値観を抱きつつも、中世の価値観に自らを無理に嵌め込んだ人物ではなかったか、と――

 考えています。

 

 皇朝から高禄をもらっている身です。

 

 人の道を外さないように生きるには――

 そうするしかなかったでしょう。

 

 先ほど、林則徐のことを、

 ――惜しむらくは――

 と評したイギリス遠征軍の指揮官に触れましたが――

 21世紀初頭に生きる僕らなら――

 次のように評することができるでしょう。

 

 ――彼は才能と勇気とを併せ持った立派な行政官だ。惜しむらくは、皇朝の君主でなかっただけである。

 と――

 

 アヘン戦争のとき――

 林則徐が、もし、皇朝・清の君主であったならば――

 その後の歴史は少し変わっていたでしょう。