マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

道光帝は“感情の分布図”のどこに配されるか

 ――アヘン戦争の英雄

 と称えられる林(りん)則徐(そくじょ)は、

 ――感情の分布図

 において、

 ――“憂・勇”領域

 に配される――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 一方――

 11月27日の『道草日記』で述べたように――

 アヘン戦争を語る上で必須の人物は、林則徐以外に、もう一人います。

 

 道光(どうこう)帝です。

 林則徐を、いわゆるアヘン問題の特命全権大臣――欽差(きんさ)大臣――に任じた人物です。

 

 この道光帝は、“感情の分布図”において、どの領域に配されるでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 おそらくは、

 ――“憂・勇”領域

 です。

 

 道光帝は節約を好みました。

 少なくとも、散財を楽しむような喜気とは無縁でした。

 

 その性向は、ほとんど、

 ――ケチ

 といってよい水準でした。

 

 林則徐がイギリス商人からアヘンを没収した際に、その見返りとして茶葉が渡されているのですが――

 その茶葉の調達に要した経費を林則徐は自分たちで用意しました。

 

 しかも、そのことを、わざわざ道光帝に直に報告しているのだそうです。

 

 国庫から支出をしたら、道光帝の機嫌が悪くなることを、林則徐は熟知していたと考えられます。

 

 また――

 アヘン戦争が始まって、いったんイギリスとの間で和議が成ったときに――

 道光帝が真っ先に命じたのは、国防に当たる兵士の数を減らし、軍事費を抑えることでした。

 

 現地の行政官は、イギリス側に不穏の動きがあるとの噂を聞いていたので、

 ――兵士の数を減らすのは、もう少し待って下さい。

 と、理由を添えて願い出たそうですが、

 ――イギリス側が和議を破るつもりなら、そのような噂を流すわけがない。

 と述べ、軍事費の削減を強引に推し進めたといいます。

 

 その後、和議は破られ、中国側は一敗地に塗れるわけですが――

 何とも呆れた吝嗇(りんしょく)家と評さねばなりません。

 

 他方――

 道光帝は勇みやすい性格でもありました。

 

 いわゆるアヘン問題に怯むことはなく――

 その禁令の徹底を命じたところは、道光帝の勇気を裏付けているでしょう。

 

 また、道光帝には、必ずといってよいほどに触れられる逸話があります。

 

 まだ皇子であった頃に、皇朝の宮廷へ宗教系の秘密結社の賊徒が乱入をしたことがあったのですが――

 その際に、道光帝は、自ら武器を取って、これを追い払っているのですね。

 

 まことに勇ましい限りです。

 

 以上のことから――

 道光帝は、“感情の分布図”において、

 ――“憂・勇”領域

 に配されると考えられます。

 

 少なくとも、

 ――“勇・喜”領域

 に配されるには、吝嗇が過ぎ、

 ――“怯(きょう)・憂”領域

 に配されるには、豪胆が過ぎ、

 ――“喜・怯”領域

 に配されるには、狭量が過ぎるようです。