マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“国家百年の計”の教育は国民教育や学術教育とは違う

 ――明治政府は“国家百年の計”の教育を誤った。

 ということを――

 12月19日以降の『道草日記』で繰り返し述べています。

 

 こう述べると、

 ――そんなことはない。

 との反論が寄せられるかもしれません。

 ――日本列島に近代国家の礎となりうる国民教育をもたらしたのは、他ならぬ明治政府である。

 という主張です。

 

 たしかに、

 ――国民教育の普及

 や、

 ――学術教育の確立

 という点では、明治政府の功績は大といってよいでしょう。

 義務教育が法制化をされ、女性教育も本格化をし始めました。

 西欧の文物を積極的に学び、西欧の学者・研究者を高額の給与で招きました。

 その結果、日本発の科学研究などが世界に向けて発信をされるまでになりました。

 これらは、たしかに、明治政府の功績です。

 

 が、

 ――“国家百年の計”の教育

 は、

 ――国民教育

 や、

 ――学術教育

 とは少し違うのです。

 

 それは、

 ――国家の運営を担う人材の育成

 です。

 あるいは、

 ――自国の損害を確実に避けつつ、自国の利益を的確に追い求めうる指導者・政治家の養成

 です。

 

 明治政府が失敗をしたのは――

 こちらです。

 

 もちろん――

 明治政府をヒイキ目にみれば、色々と釈明を試みることはできます。

 

 実際のところ、見識のある指導者や政治家は、明治前期はもちろんのこと、明治後期以降の明治政府においても、少なからず見出すことはできます。

 

 が――

 いわゆる結果責任を厳しく問うならば――

 それら釈明の大半は、

 ――いいわけ

 です。

 

 明治政府が――正確には、昭和前期の政権が――西欧列強を相手に、勝てない戦いを挑み、敗れ、自国の領土に外国の軍隊の駐留を許した事実は動きません。

 

 おそらく――

 明治政府は、

 ――国民教育

 や、

 ――学術教育

 に注意を注ぐあまり、

 ――“国家百年の計”の教育

 に注意を注げなかったのです。

 

 あるいは、

 ――優れた“国民教育”や“学術教育”の延長線上に“国家百年の計”の教育がある。

 と信じていたように、僕には思えます。

 

 実際には、違います。

 

 たしかに―― 

 少なくとも民主主義の国家では、

 ――国民教育 

 や、

 ――学術教育

 と、

 ――“国家百年の計”の教育

 とは、多少なりとも繋がってはいます。

 

 が――

 本質的には繋がっていません――少なくとも教育としての性質は、だいぶ異なります。