マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

明治政府のそもそもの失敗

 ――明治政府は、“政権交代の常態化の制度”の確立に失敗をした。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 この、

 ――政権交代の常態化の制度

 というのを、やや詳しくいい直せば、

 ――政権を担う人材の交代が常態的に保証をされている制度

 となる、ということも――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 が――

 そもそも――

 明治政府は、

 ――特定の人材が政権を担う制度

 の確立に失敗をしています。

 

 もう少し、わかりやすくいい直すと――

 明治政府では、

 ――誰が政権を握っていたのが不明瞭であった。

 ということです。

 

 政権は――

 形式的には、

 ――天皇

 が握っていました。

 

 が――

 天皇は実質的には政治に関わらず――

 いわゆる、

 ――宰相格の有力な廷臣

 が、天皇に代わって実質的に政治に関わっていました。

 

 その“宰相格の有力な廷臣”というのは――

 当初は、

 ――太政大臣

 と呼ばれ――

 そのうちに、

 ――内閣総理大臣

 と呼ばれるようになりました。

 

 ところが――

 

 この“宰相格の有力な廷臣”は――

 どういうわけか――

 ごく限られた裁量しか与えられなかったのですね。

 

 一般に、組織における権力の源泉は人事権にあると考えられています。

 その人事権が――つまり、閣僚の任免権が――明治政府においては、なぜか“宰相格の有力な廷臣”に与えられなかったのです。

 

 では――

 誰が握っていたのか――

 

 それが、よくわからないのですね。

 

 形式的には、

 ――天皇

 が握っていました。

 

 が――

 前述の通り、天皇は政治に関わりません。

 

 つまり――

 明治政府では、閣僚の任免権を誰が握っているのかさえ、曖昧であったのですね。

 

 よって――

 きのうの『道草日記』で、

 ――明治政府は「憲政の常道」という名の政権交代の常態化に、いったんは成功をしかけたのだが、五・一五事件の発生で、あえなく頓挫をしてしまった。

 と述べましたが――

 その「政権交代」は、実は、

 ――絵に描いた餅

 でした。

 

 政権の所在それ自体が不明確であったので――

 政権交代も何も、あったものではなかったのです。

 

 明治政府の失敗は――

 むしろ、こちらのほうが深刻です。

 

 つまり――

 明治政府は、

 ――“政権交代の常態化の制度”の確立に失敗をした。

 というよりは、

 ――政権の所在の明確化に失敗をした。

 というほうがよいのです。

 

 政権の所在を明確化のためには、いわゆる政体をきちんと定める必要がありました。

 

 ――政体

 というのは、

 ――政治の体制

 のことです。

 

 この政体を、誤謬性のない形で――つまり、誰がみても誤解をしない形で――定めることが必要でした。

 

 その政体の定式化に――

 明治政府は失敗をしたのです。

 

 それは、

 ――国家のグランド・デザインを描くのに失敗をした。

 といってもよいし、

 ――政治の基本的な体制づくりに失敗をした。

 といってもよいでしょう。

 

 その失敗は――

 

 あえて辛辣ないい方をするならば――

 

 ――きわめて初歩的

 です。