マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

明治政府は軍人に選挙権を与えなかった

 ――明治政府は進歩的であろうとしすぎたために、その政体――政治の体制――にが孕んでいた“軍事の裁量権の独立”を取り除き損ねるという初歩的な失敗をした。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――軍事の裁量権の独立

 を許した要因の1つに、

 ――参政権の制限

 が挙げられる、と――

 僕は考えています。

 

 明治政府は、1989年に憲法を公布し、衆議院の選挙を始めました。

 

 その際――

 選挙権を、基本的には、

 ――高額納税者の男性

 に限りました。

 

 いわゆる制限選挙であったのですね。

 

 他にも、

 ――華族の当主には選挙権を与えない。

 と定められました。

 

 ――華族

 というのは、江戸期までの公家や大名家などの一族を指します――いわゆる貴族階級の人々です。

 

 なぜ華族の当主には選挙権が与えられなかったかというと――

 華族の当主には、

 ――貴族院

 という別の議院――衆議院とは別の議院――への関りが保証をされていたからです。

 

 ところが――

 どういうわけか、

 ――軍人

 にも選挙権が与えられなかったのですね。

 

 しかも、華族の当主とは違い、軍人には衆議院に代わる何か別の議院への関りが保証をされていたわけでもありませんでした。

 

 ただ、

 ――政治には関わるな。

 と戒められただけであったのです。

 

 つまり――

 現代日本の感覚でいえば、あきらかに、

 ――不当に――

 選挙権を奪われていた、と――

 いってよいでしょう。

 

 この、

 ――軍人からの選挙権の剥奪

 が、

 ――軍事の裁量権の独立

 を許した直接の要因ではないか、と――

 僕は考えています。

 

 軍部による内閣への威圧ないし干渉が当たり前であった昭和前期の印象が強烈なので、少し意外な気がするのですが――

 明治政府は、軍人を政治から積極的に遠ざけようとしました。

 

 このことが、一部の軍人たちの政治に対する異様な関心を招いたのではないか、と――

 僕は思います。

 

 ――政治に関わるな。

 といわれたら、より関わりたくなるのが人情です。

 

 あるいは――

 政治から積極的に遠ざけられたら――

 そこに何か合理的な理由を人は見出さずにはいられなくなるものです。

 

 その際に、

 ――軍事は、実は政治よりも崇高な営みなのである!

 との誤解が生まれたとしても不思議ではありません。

 

 ――我々軍人は命を張って国家に尽くしている。それなのに、政治に関われないのは、なぜか! それは、本来、政治が軍事よりも下賤な営みであるからにほからない!

 というわけです。

 

 そのような誤解が、後世の統帥権干犯問題を生み出し、五・一五事件を引き起こしていったと考えられます。

 

 ――政治という下賤な営みに関わっている者どもに、我らの崇高な営みが妨げられてなるものか!

 というわけですね。

 

 何とも皮肉な話です。