マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

明治政府は“軍事と政治とに関わる矛盾”に気を配れなかった

 明治政府は、

 ――軍事を握った者が政治を握ってきた。

 という歴史的経緯を重くみなかったのではないか――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――軍事は外交の一部であり、外交は政治の一部である。

 という社会的原理とは別に、

 ――軍事を握った者が(外交を含む)政治を握ってきた。

 という歴史的経緯があります。

 

 これは、おそらくは古今東西――多少なりとも例外はあるにせよ――ほぼ共通の事情です。

 

 これら2つの命題は――

 互いに矛盾をしています。

 

 が、

 ――軍事を握った者が政治を握った後で「政治は軍事に優越をする」という原理に従ってきた。

 と仮定をすれば――

 この、

 ――軍事と政治とに関わる矛盾

 は表に出ないのですね。

 

 おそらく――

 古代以降、洋の東西を問わず、賢明な政治指導者や政治指導部は――

 こうした矛盾が表面化をしないように、それとなく気を配っていました。

 

 逆に――

 そうした気配りができなかった者たちの多くは――

 政治指導者や政治指導部としての地位を失っていったと考えられます。

 

 つまり――

 軍事的な問題の解決のために、政治的な問題を捻り出す――

 というような不合理を試みれば――

 いずれは政権を奪われた――

 ということです。

 

 現代日本にとって――

 その最も身近な例が、

 ――統帥権干犯問題に揺れた明治政府

 ということになります。

 

 ただし――

 明治政府の場合は、外国の軍隊に占領をされ、政体――政治の体制――の解体という形で政権を奪われる前に、「太平洋戦争」という苦渋を国の内外の民に強い、その結果、数多くの人命を損なわせたという点で――

 まことに迷惑な政権の奪われ方をしました。

 

 もちろん――

 ここでいう、

 ――明治政府

 とは――

 12月18日の『道草日記』で述べた通り――

 ――明治期に生じて明治期を統べた政権による政体だけを指すのではなく、その後の大正期や昭和前期を統べた政権による政体も含めたもの

 です。

 

 しばしば――

 明治維新を成し遂げた明治政府と太平洋戦争を起こした昭和前期の政府とを分けて考える向きがありますが――

 そうした見方は、おそらく間違いです。

 

 たしかに――

 2つの政府を分ける考え方は――

 30年ほど前までは――

 ごく当たり前であったように思いますが――

 

 今は違うでしょう。

 

 ――政権は多少は変質をしたかもしれないが、政体は明らかに継続をしていた。

 ということの洞察が――

 ここ30年ほどで深まり、広まってきています。