マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ファシズムは昭和前期に西欧から持ち込まれたのではない

 ――明治政府は民主主義のことを多少は考えていた。

 ということを、おとといの『道草日記』で述べました。

 

 が、

 ――民主主義の隣にファシズムがある。

 との警句――きのうの『道草日記』で少し詳しく述べた警句――については――

 明治政府は全く把握をしていなかったはずです。

 

 もちろん――

 明治政府の首脳部が、

 ――ファシズム

 という言葉に触れる機会は――

 少なくとも創成期においては――

 ありえませんでした。

 

 西欧(イタリア)でファシズムが台頭を始めたのは1920年代――日本列島でいえば、大正期および昭和前期――のことですから――

 当然です。

 

 もちろん――

 僕がいいたいのは――

 そういうことではなくて――

 

 ……

 

 ……

 

 きのうの『道草日記』で、

 ――民主主義の隣にファシズムがある。

 との警句は、

 ――特定の個人や集団に狂信的に従うな。

 という警告と、

 ――異論を暴力的に封じるな。

 という警告との2つに置き換えられる――

 と述べました。

 

 つまり――

 僕がいいたいのは、

(明治政府は創成期から「特定の個人や集団に狂信的に従うのは危険だ」とか「異論を暴力的に封じると危険だ」とかいった懸念には無頓着だった)

 ということです。

 

 何といっても――

 明治政府はクーデターで生じた政権・政体ですから――

 それは、

 ――必然

 といえました。

 

 ――宿命

 といってもよいでしょう。

 

 そもそも――

 明治政府の首脳部は――

 創成期において、

 ――天皇

 という名の権威の下に結束をし――

 自分たちの見解に賛同をしない旧徳川幕府の関係者を武力で追い払いました。

 

 その一方で、

 ――五箇条の御誓文

 を掲げ、

 ――広く会議を興し、万機公論に決すべし。

 とやった――

 

 これでは、

 ――明治政府はファシズムを創成期から志向していた。

 といっても過言ではありません。

 

 要するに――

 明治政府の首脳部は、「ファシズム」という言葉こそ、用いなかったけれども――

 彼らが創成期から目指していたのは、「ファシズム」という概念の創出ないし確立であった――

 といえるのです。

 

 日本列島の人々は――

 ファシズムを昭和前期に西欧から持ち込んだのでなく――

 明治期から自前で用意をしていた、と――

 いえます。

 

 それゆえにこそ――

 僕らは、

 ――民主主義の隣にファシズムがある。

 との警句には――

 殊更に敏感であるのがよいのです。

 

 少なくとも他人事では全くありえないのです。