マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

明治政府の先進性――後退性を包んだ先進性

 ――明治政府には、いわゆる“五箇条の御誓文”に象徴をされるような、ある程度の先進性があった。

 ということを、1月15日の『道草日記』で述べました。

 

 明治政府に先進性があったことは誰にも否定できないでしょう。

 

 が――

 その先進性を額面通りに受けとるのは、

 (ちょっと違うのではないか)

 と、僕は思っています。

 

 ――明治政府の先進性

 は、

 ――後退性を包(くる)んだ先進性

 でした。

 

 ここでいう「後退性」とは――

 文字通り、

 ――時代の逆行性

 もう少し明確にいえば、

 ――時代錯誤性

 です。

 

 明治政府はクーデターで政権をとって発足をしたことは――

 1月1日以降の『道草日記』で繰り返し述べている通りですが――

 

 そのクーデターを――

 明治政府の首脳部らは、

 ――王政復古

 と呼びました。

 

 ここにこそ、明治政府の“時代錯誤性”が――「時代錯誤性」がキツすぎるのであれば「後退性」といってもよいのですが――要するに“時代の逆行性”が結実をしています。

 

 もちろん、

 ――王政復古

 のクーデターでは、幕府が廃止をされただけでなく、摂政・関白の役職も廃止をされ、代わりに「総裁」や「議定」「参与」といった目新しい呼称の役職が置かれるなど――

 一見、後戻りをしたようには感じられなかったのですが――

 実際に行ったことは、いわゆる武家政権が鎌倉期に誕生をする前の平安期にまで、政体――政治の体制――を戻すということに他なりませんでした。

 

 要するに――

 明治政府は、

 ――後戻りをしながら前のめりになった

 といえるのです。

 

 床を転がるボールに喩えると――

 普通に転がっていたボールが、にわかに逆回転を始め、後ろに転がろうとしたのに、どういうわけか前へ進んでいったのです。

 

 逆回転のボールが、なぜ前へ進んでいったのか――

 

 それは、

 ――西欧列強の外交圧力

 に吹きさらされたからです。

 

 もう少し有り体にいってしまえば、

 ――日本列島が西欧列強の植民地にされるのを恐れたから――

 です。

 

 それは――

 明治政府の首脳部も、その首脳部の周辺も、明治政府の部外者も、心ある者なら誰しもが等しく抱えたであろう恐れでした。

 

 僕が、

 ――明治政府の先進性

 というときに、その「先進性」が意味するところは、

 ――後退性を包んだ先進性

 です。