マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

国軍が政府を創る場合

 ――現在のミャンマー政府は、ミャンマー国軍によって創られた。

 ということを、おとといの『道草日記』で述べました。

 

 ――政府が国軍を創ったのではなく、その逆であった。

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 国軍が政府を創る場合――

 国軍の最高司令官が政権の首班となるのが普通です。

 

 その際に――

 その最高司令官が、軍人としての肩書以外に、文民としての肩書――つまり、非軍人としての肩書――を手にすれば、

 その政権は、

 ――軍事政権

 とは呼ばれなくなります。

 

 その最たる例はアメリカでしょう。

 

 アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンは――

 イギリスから独立を勝ち取る際に、国軍の最高司令官でした。

 

 が――

 独立を勝ち取った後――

 その独立国の最初の政権の首班となる際に――

 ジョージ・ワシントンは、

 ――合衆国大統領

 という文民としての肩書を手に入れ――

 そればかりか、国軍の最高司令官としての地位から退き、軍人としての肩書を捨ててしまったのだそうです。

 

 このジョージ・ワシントンの判断がなければ――

 その後の共和制の連邦国家としてのアメリカはなかったといわれています。

 

 アメリカほど徹底はされていなくても――

 例えば、今日の中国や北朝鮮、あるいは、かつてのソビエト連邦も――

 国軍が政府を創った経緯があるにもかかわらず、

 ――軍事政権

 とは呼ばれていません。

 

 それは――

 国軍の最高司令官が、一応は、文民として――軍人としての肩書も併せもつ政党の最高指導者として――政権の首班の座に就いたからです。

 

 ミャンマーは違います。

 国軍の最高司令官が、軍人としての肩書のままで――文民としての肩書を手にすることなく――政権の首班になった経緯があるのですね。

 

 きのうの『道草日記』で――

 ミャンマー国軍の前身の軍事組織を立ち上げのは、4日前のクーデターで政権の首班の座から追われたアウンサンスーチーさんのお父さん――アウンサン将軍――である、と述べました。

 

 本来ならば――

 アウンサン将軍が、そのまま政権の首班の座に就くはずでした。

 

 が――

 政権を執る直前に――

 アウンサン将軍は暗殺をされてしまいます――1947年のことです。

 

 アウンサン将軍の後継者は、生粋の文民と呼びうる活動家――ないしは、政治家――であったようです。

 その文民の後継者に対し、1962年、当時の国軍の最高司令官がクーデターを起こしました。

 

 そして――

 その最高司令官は、基本的には、軍人としての肩書のままで、政権の首班の座に就いたのです。

 

 以後――

 その政権は、

 ――軍事政権

 と呼ばれました。