ミャンマーのクーデターのことは――
背景があまりにも複雑かつ深刻な社会的危機なので――
これ以上『道草日記』で触れても、得るものは少なそうだと感じています。
きのう――
福島沖の地震に触れたことで――
社会的危機の考察の“合わせ鏡”の側面に改めて気づかされたこともあり――
もう、ミャンマーのクーデターのことを『道草日記』で触れるのは、やめようと思うのですが――
……
……
ミャンマーのクーデターのことで――
今、僕が最も気がかりなのは、
(今後、ミャンマーの全土で内戦が激化していかないか)
ということです。
ちょうど2010年代初頭の、
――アラブの春
を契機として、中東のシリアなどが血で血を洗う悲惨な内戦状態に陥ったように――
……
……
僕は、
(少なくとも権威主義よりは民主主義のほうが優れた政治体制である)
と固く信じています。
その信念に照らせば――
今回のミャンマー国軍のクーデターは、ちょっと権威主義に寄りかかりすぎていて――
それが、悲しいし、悍(おぞ)ましい――
ですから――
クーデターに反対をしているミャンマーの人々に声援を送りたい気持ちは十分にあるつもりなのです。
が――
そのために――
もし、今後、ミャンマーの全土で内戦が激化するとしたら――
そちらの方が、もっと、ずっと悲しいし、悍ましい――
……
……
戦争は、内戦も含め、結局は、何かを壊すだけで、何も生み出しはしない、と――
僕は思っています。
毎日、おびただしい数の人々の血が流れ続けるというのは――
やはり、どう考えても、好ましいことではない――
たとえ、それが民主主義を追い求める過程であったとしても――
……
……
血を血で洗う民主主義ならば――
血を血で洗わない権威主義のほうが、いくらかマシである、と――
僕は信じています。