マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

変と乱と

 フランス語の「coup d'État」を日本語で表すと、

 ――変

 ではないか――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 もちろん、

 ――変

 の一字だと、「奇妙な」という意味の「変」と紛らわしくなりますから――

 例えば、

 ――事変

 とか、

 ――政変

 とかというふうに――

 他の字と組み合わせるほうがよいとは思います。

 

 が――

 本質的には、フランス語の「coup d'État」は、日本語では、

 ――変

 の一字で表しうる――

 そのように、僕は述べたいのです。

 

 ここで注意をしたいことは、

 ――変

 は、

 ――乱

 ではないということです。

 

 つまり――

 フランス語の「coup d'État」は、

 ――戦乱

 や、

 ――擾乱

 ではない――

 

 ――変

 と、

 ――乱

 との違いは何か――

 ということが、しばしば日本史の愛好家の間で議論の対象になりますが――

 

 簡単にいってしまうと、

 ――変

 では殺される人が少なく、

 ――乱

 では殺される人が多い――

 となります。

 

 殺害者数は、

 ――変

 では、数名から数百名程度であるのに対し、

 ――乱

 では、どんなに少なくとも数百名程度――ふつうは数千名程度であり――場合によっては、数万名程度にもなりえます。

 

 先月の『道草日記』で、

 ――大化の改新明治維新もクーデターから始まった。

 ということを繰り返し述べましたが――

 

 ――クーデター

 が、

 ――変

 であり――

 その殺害者数が、

 ――乱

 に比べて有意に少ないことを考えると――

 

 (大化の改新明治維新も、そんなに悪くない始まり方だった)

 ということはできるでしょう。