マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

乱であっても「変」と呼ぶ

 ――変

 と、

 ――乱

 とについて――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――変

 と、

 ――乱

 との違いについては――

 きのうの『道草日記』でも触れた通り、しばしば日本史の愛好家たちの間で議論の対象となるのですが――

 

 僕個人は――

 そうした議論に特に関心をもってはきませんでした。

 

 (要は、争いの規模の問題でしょう?)

 と思っていたからです。

 

 争いの規模が小さければ、

 ――変

 で――

 争いの規模が大きければ、

 ――乱

 です。

 

 ただし――

 一口に、

 ――争いの規模

 といっても――

 その意味は、かなり不明瞭ですから――

 いくらかでも、それを明瞭にするために、

 ――殺された者の数

 を挙げたのです。

 

 つまり――

 その争いにおいて――

 数名から数百名が殺されていれば、

 ――変

 で――

 数百名から数万名が殺されていれば、

 ――乱

 である――

 というわけです。

 

 ちなみに――

 学術的には、

 ――「変」と「乱」との違いを論じるのは不毛である。

 との見解が主流のようです。

 

 ――変

 も、

 ――乱

 も――

 それらの言葉を使う者の主観に基づいているにすぎない――

 というのです。

 

 極論をいえば――

 ふつうは、

 ――乱

 とみなされることであっても――

 それを、あえて、

 ――変

 と呼ぶ――

 というようなことは、いくらでもあったでしょう。

 

 その典型例が、

 ――承久の乱

 です。

 

 ――承久の乱

 については――

 2017年11月10日の『道草日記』などで述べました。

 

 この乱は、実際には、天下を二分にした大戦(おおいくさ)であったにも関わらず――

 その政変性が重くみられ――

 昭和前期までは、

 ――承久の変

 と呼ばれていました。

 

 このような典型例があるので、

 ――「変」と「乱」との違いを論じるのは、少なくとも学術的には、それほど面白くない。

 と、みなされているようです。