マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

変か乱か――人の世の流れの観点から――

 ――「変」と「乱」との違い

 について考えています。

 

 権威主義の社会では、

 ――変

 のほうが、

 ――乱

 よりも好まれ――

 民主主義の社会では、

 ――変

 よりも、

 ――乱

 のほうが好まれる――

 と述べました。

 

 民主主義の社会では、

 ――変

 は、

 ――密議

 あるいは、

 ――密室裁定

 のことであり、

 ――乱

 は、

 ――選挙

 あるいは、

 ――公開討論

 のことであるのですね。

 

 2020年4月19日の『道草日記』で述べたように――

 人の世は、大まかにいって、

 ――権威主義から民主主義へ

 の流れにあります。

 

 少なくとも僕には――

 そのように思えます。

 

 ごく簡単にいってしまうと――

 原始・古代では、権威主義が主流であったものが――

 近代・現代では、民主主義が主流になりつつある――

 ということです。

 

 この人の世の流れを重くみるか軽くみるかによって、

 ――変

 や、

 ――乱

 への見方も変わります。

 

 人の世において――

 依然、権威主義の思想が主流であると考える人は、

 ――変

 を好んで、

 ――乱

 を嫌うでしょう。

 

 一方――

 もはや民主主義の思想が主流であると考える人は、

 ――変

 を嫌って、

 ――乱

 を好むでしょう。

 

 ……

 

 ……

 

 民主主義の社会において――

 ときどき、

  選挙 = 乱

 の結果を撥ね付け、

  密議 = 変

 の結果を押し通そうとする人が出てきます。

 

 そういう人は――

 民主主義の思想を拒む以前に――

 人の世が、

 ――権威主義から民主主義へ

 の流れにあるとの認識を拒んでいる可能性があります。

 

 そうであれば――

 その人は、

 ――時代の波に取り残されている。

 とみて、ほぼ間違いはありません。

 

 が――

 そうではなくて――

 

 人の世が、

 ――権威主義から民主主義へ

 の流れにあることは認めているが――

 その流れに乗ることで、争いに巻き込まれる犠牲者が多く出ることを恐れる人というのも――

 いないことはないように思うのです。

 

 人の世は一様ではありません。

 

 ――権威主義から民主主義へ

 の流れが速くて確かな国や地域と――

 そうでない国や地域とがあります。

 

 そうでない国や地域にいる人は――

 たとえ、

 ――時代の波に取り残されている。

 との誹りを受けようとも、

 ――乱

 ではなく、

 ――変

 を選ぶでしょう。

 

 その胸裏には、

(たぶん、忸怩たる思いが潜んでいる)

 ということを――

 僕らは見逃さないほうがよいと思うのです。