マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

変か乱か――開放性ないし閉鎖性の観点から――

 ――民主主義の社会では、“変”は“密議”のことであり、“乱”は“選挙”のことである。

 ということを――

 おとといの『道草日記』で述べました。

 

 このことに着目をすると――

 “変”と“乱”との分類については、

 ――閉鎖性

 ないし、

 ――開放性

 に依っていると考えることもできます。

 

 つまり、

 ――争いの規模が大きければ「乱」であり、小さければ「変」である。

 というのではなく、

 ――争いが開放的であれば「乱」であり、閉鎖的であれば「変」である。

 ということです。

 

 ここでいう、

 ――開放的

 とは――

 民主主義の社会における、

 ――公開討論

 の様相を帯びている、ということで――

 ――閉鎖的

 とは――

 民主主義の社会における、

 ――密室裁定

 の様相を帯びている、ということです。

 

 争いが開放的であれば――

 それだけ巻き込まれる人たちは増えますから――

 当然、争いの規模は大きくなります。

 

 争いが閉鎖的であれば――

 それだけ巻き込まれる人たちは減りますから――

 当然、争いの規模は小さくなります。

 

 つまり、

 ――「変」と「乱」との違い

 については、

 ――争いの規模

 は、二次的な原因に過ぎず――

 一次的な原因としては、

 ――争いの閉鎖性ないし開放性

 が挙げられる――

 ということです。

 

 この「閉鎖性ないし開放性」は、

 ――密室性ないし公開性

 といっても、よいのかもしれません。

 

 ……

 

 ……

 

 こうした観点に立ちますと――

 権威主義の社会では、

 ――乱

 より、

 ――変

 が好まれ――

 民主主義の社会では、

 ――変

 より、

 ――乱

 が好まれるのは――

 至極、当然といえます。

 

 権威主義の政権では、物事は、閉鎖的な密室裁定で決まっていくのが当たり前とされています。

 民主主義の政権では、物事は、開放的な公開討論で決まっていくのが望ましいとされています。