マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

プロで超一流未満、アマで超一流

 ――プロ

 といえば、

 ――超一流

 であり、

 ――アマ

 といえば、

 ――超一流未満

 である――

 と、一般的には思われがちですが――

 実際には、

 ――プロで超一流未満――

 や、

 ――アマで超一流

 の例も、決して少なくはない――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――プロで超一流未満――

 とは、どういうことか――

 

 ……

 

 ……

 

 ――超一流未満

 というのは、

 ――一流、二流、三流

 のことです。

 よって、

 ――プロで超一流未満――

 を考えるには、

 ――プロで三流――

 を考えると、わかりやすいでしょう。

 

 これは、どういうプロかというと、

 ――ただカネを稼いでいるだけのプロ

 です。

 自分がプロとして携わっている活動の真の意義を考えず、ただ目先の利益だけを追い求め、ひたすら日銭を稼いでいる――

 それが、

 ――プロで三流――

 です。

 

 一方――

 

 ――アマで超一流――

 とは、どういうことか――

 

 ……

 

 ……

 

 それは、

 ――世の中の全ての人たちの考え方を変えてしまうアマ

 です。

 自分の活動の真の意義を考え、その活動に携わっている全ての人たち――プロとして一流の人たちも含めて全ての人たち――に対し、新たな考え方を示した上で、その実践を促していく――

 それが、

 ――アマで超一流――

 です。

 

 ……

 

 ……

 

 ――プロで超一流未満――

 の具体例を探すのは簡単でしょう。

 

 何となく日銭を稼いでいる職業人は全て、

 ――プロで超一流未満――

 と考えて差し支えないでしょう。

 

 が――

 

 ――アマで超一流

 の具体例を探すのは、そう簡単ではありません。

 

 典型的な具体例は、作家でしょう。

 

 例えば――

 作家が政治について作品を書き――

 その作品を読んだ政治家が感銘を受け、新たな政治活動を立ち上げる――

 そうなったら――

 その作家は――少なくとも政治については――間違いなく、

 ――アマで超一流――

 といえます。

 

 ただし――

 そのような作家は、文筆家ないし表現者としてプロである可能性が高いので――

 真の意味で「アマ」とみなせるかどうかは、微妙なところです。