――16世紀のブリュッセルに生まれた医師・解剖学者アンドレアス・ヴェサリウス(Andreas Vesalius)が、革新的に詳しくて正しくて、しかも圧倒的に美しい人体解剖図版集『ファブリカ(fabrica)』を世に問い、その約 100 年後に、「血液循環」説を唱えたイギリスの医師・生理学者ウィリアム・ハーヴィー(William Harvey)が登場をしている。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
ハーヴィーは、だいたい次の3つの知見を基に「血液循環」説を唱えました。
1)心臓の内腔の右半分と左半分とを繋ぐ小さな孔は、実は存在をしていない。
2)心臓や静脈の内腔には弁のような構造物があり、血液を一方向へ流している。
3)心臓から大動脈へ拍出をされる血液の重さは 、1 日当たり、体重の約 100 倍である。
1)は、ガレノスの否定です。
――ガレノス
とは、紀元2世紀ギリシャ・ローマの医師・医学者アエリウス・ガレノス(Aelius Galenus)のことです。
10月11日の『道草日記』で述べたように――
ガレノスは血液循環の事実に気づいていませんでした。
ガレノスを否まない限り、血液循環の事実には近づけなかったはずです。
2)は、師匠の研究を引き継いだ結果でした。
ハーヴィーの師匠は、16世紀中盤から17世紀序盤のイタリアで活動をした医師・解剖学者ジェローラモ・ファブリツィオ(Girolamo Fabrizio)です。
ファブリツィオは静脈の内腔に弁のような形態があることを初めて世に問いました。
が、その機能までは突き詰められませんでした。
代わりに突き詰めたのが――
弟子のハーヴィーであったわけです。
1)および2)から、血液の通り道は一本道であることが示唆をされます。
そして――
3)です。
ハーヴィーは、人の心臓の内腔の広さを見積もり、その広さが心臓の拍動に伴って、どれくらい変わりそうかを見積もることで――
血液が心臓を 1 日当たり、どれくらい通り抜けているかを、概算で見積もったと考えられています。
この「概算」という手法ないし発想が、医学の研究では重要なのです。
ヒトを含む生物の個体は差異が大きいので、「概算」という手続きを踏まない限り、何もいえないことが多いのですね。
このハーヴィーの計算を、ほぼ同時代のガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)の計算と比べて、
――杜撰であり、未熟である。
と評する向きもありますが――
必ずしも、そうとはいえないのです。