マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

生理学と解剖学とは、どう違うのか

 アエリウス・ガレノス(Aelius Galenus)のことを、

 ――医師・医学者

 と呼び――

 アンドレアス・ヴェサリウス(Andreas Vesalius)のことを、

 ――医師・解剖学者

 と呼び――

 ウィリアム・ハーヴィー(William Harvey)のことを、

 ――医師・生理学者

 と呼びました。

 

 ――医師

 という呼称は共通ですが――

 それ以外はバラバラですね。

 

 実際に――

 医学史上の呼称は、たぶん、そんなに厳密には統一をされていません。

 

 が――

 だいたい、

  ハーヴィー:生理学者

  ヴェサリウス:解剖学者

  ガレノス:医学者

 となっています。

 

 その根拠は、

 ――生理学を確かな学問として興したのがハーヴィーであり、解剖学を確かな学問として興したのがヴェサリウスであり、ガレノスの頃は、まだ生理学と解剖学とが混然一体としていた。

 という知見です。

 

 このように述べますと、

 ――生理学と解剖学とは、どう違うのか。

 という疑問に行き当たるでしょう。

 

 よくいわれるのは、

 ――生理学は体の機能を観る。解剖学は体の形態を観る。

 ということです。

 

 が――

 2020年1月18日の『道草日記』で述べたように――

 体に興味をもっている者で、形態しか観ようとしない者は、たぶん、いません。

 

 形態が気になるのは、機能が気になるからです。

 

 よって、

 ――生理学は体の機能を観る。解剖学は体の形態を観て、体の機能を思う。

 というのが、より正確でしょう。

 

 ハーヴィーが観たのは、

 ――血液循環

 という名の“心臓や血管系の機能”でした。

 

 ハーヴィーは、“心臓や血管系の機能”を直に観たのです。

 

 一方――

 ヴェサリウスが観たのは、

 ――ファブリカ(fabrica)

 という名の“人の体の形態”でした。

 

 ここでいう「ファブリカ」には、しばしば、

 ――構造

 という日本語が当てられますが――

 実際には、

 ――作り上げられた物、構築をされた物

 という意味が近いようです。

 

 ヴェサリウスの人体解剖図版集『ファブリカ』の正式名は――

 10月14日の『道草日記』で述べたように――

 ラテン語で、

 ――De humani corporis fabrica(人の体の構造)

 といいます。

 

 これをより原義に近い日本語に訳せば、

 ――人の体に作り上げられた物

 ないし、

 ――人の体に構築をされた物

 となります。

 

 ヴェサリウスは、“人の体に作り上げられた物”ないし“人の体に構築をされた物”を観て、“人の体の機能”を思ったと考えられます。