18世紀後半のアメリカ独立戦争では――
ともすると、
――開明的な北アメリカ大陸の民主主義国家が、退嬰(たいえい)的なグレートブリテン島の権威主義国家を打ち負かした。
という粗筋で理解をされてしまうのですが――
実際には、そうとはいいきれません。
先に暴力に訴えたのは“開明的な北アメリカ大陸の民主主義国家”(アメリカ)の前身であり――
その挑戦を受けて立った“退嬰的なグレートブリテン島の権威主義国家”(イギリス)の政体は、議会制民主主義を熟しつつあった立憲君主制でした。
両国家が本気で干戈(かんか)を交えたのは史実ですが――
その結果、“退嬰的なグレートブリテン島の権威主義国家”のほうが、
――旗色が悪い。
とみなし、潔く敗北を受け入れ――
――盟友
とみなし、交友関係を築き――
その関係を、21世紀序盤の現代に至るまで、良好に保ってきたことは――
注目に値をします。
もちろん――
アメリカ独立戦争で主体的な役割を果たし、
――革命の成就
という成功を収めたのは北アメリカ大陸の人々であったわけですが――
その成功を導いた大きな要因の一つに――
グレートブリテン島の人々の、
――負けっぷりの良さ
があったことは忘れないようにしたいところです。
当然のことながら――
そのように、グレートブリテン島の人々が振る舞ったことの背景には、
――名を捨てて実を取る。
の戦略がありました。
当時の世界の文化・文明の中心地は明らかにヨーロッパ大陸の西方にあり――
その地で、フランスなどの他の列強と鎬(しのぎ)を削っていたグレートブリテン島の人々にとって、北アメリカ大陸で自分たちと同じ言語を用いる人々が独立国家を打ち立てることは、決して悪いことではありませんでした。
少なくともフランス語などの違う言語を用いる人々が独立国家を打ち立てるよりも、はるかに好都合であったに違いありません。