マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

藤原隆家のこと(18)

 藤原隆家(ふじわらのたかいえ)が、叔父・藤原道長(ふじわらのみちなが)に招かれた宴席で、にわかに怒りだしてみせたのは――

 叔父・道長が、自分の今後の処遇をどのように考えているのかについて、探りを入れるためではなかったか――

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 道長が甥・隆家の能力の高さを認め、その人柄に漠然とした好感をもっていたらしい、ということは――

 8月26日の『道草日記』で述べました。

 

 おそらく――

 隆家自身も――

 確信は持てなかったに違いありませんが――

 何となく、

 ――叔父は自分のことを嫌ってはいない。

 ということは感じていたように思います。

 

 そもそも――

 この二人は、生まれ育った境遇が似ているのです。

 

 道長と隆家とは――

 どちらも政権の首班の息子であり、その嫡男の同腹の弟でした。

 

 道長も隆家も、自分が政権の首班になる見込みは、少なくとも成人をするまでは、まったくといってよいほどに、ありませんでした。

 

 それでも――

 道長は、政権の首班になったのです。

 

 政権の首班の座が約束をされていた甥・藤原伊周(ふじわらのこれちか)に政争を挑み――

 その座を奪いとったのです。

 

 この強奪を、甥・隆家は、どのようにみていたのか――

 

 道長が終生、気にかけていたのは――

 その点であったに違いありません。

 

 自分が強奪に成功をしたのであるから――

 甥・隆家も成功をしないとは限らないのです。

 

 自分が亡くなった後――

 自分の嫡男は、あの甥によって、政権の首班の座を奪われるかもしれない――

 

 それだけの能力と人柄とが甥に備わっていることは――

 道長自身が痛感をしていたでしょう。

 

 そうした叔父・道長の恐れのようなものを、隆家は遅くとも三十路に入る頃までには正確に見抜いていた、と――

 僕は感じます。

 

 その洞察の契機となったのが――

 あの道長邸での宴席の出来事ではなかったか――

 

 そのように僕は思うのです。