藤原隆家(ふじわらのたかいえ)が、叔父・藤原道長(ふじわらのみちなが)に招かれた宴席で、にわかに怒りだしてみせたのは――
叔父・道長が、自分の今後の処遇をどのように考えているのかについて、探りを入れるためではなかったか――
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
道長が甥・隆家の能力の高さを認め、その人柄に漠然とした好感をもっていたらしい、ということは――
8月26日の『道草日記』で述べました。
おそらく――
隆家自身も――
確信は持てなかったに違いありませんが――
何となく、
――叔父は自分のことを嫌ってはいない。
ということは感じていたように思います。
そもそも――
この二人は、生まれ育った境遇が似ているのです。
道長と隆家とは――
どちらも政権の首班の息子であり、その嫡男の同腹の弟でした。
道長も隆家も、自分が政権の首班になる見込みは、少なくとも成人をするまでは、まったくといってよいほどに、ありませんでした。
それでも――
道長は、政権の首班になったのです。
政権の首班の座が約束をされていた甥・藤原伊周(ふじわらのこれちか)に政争を挑み――
その座を奪いとったのです。
この強奪を、甥・隆家は、どのようにみていたのか――
道長が終生、気にかけていたのは――
その点であったに違いありません。
自分が強奪に成功をしたのであるから――
甥・隆家も成功をしないとは限らないのです。
自分が亡くなった後――
自分の嫡男は、あの甥によって、政権の首班の座を奪われるかもしれない――
それだけの能力と人柄とが甥に備わっていることは――
道長自身が痛感をしていたでしょう。
そうした叔父・道長の恐れのようなものを、隆家は遅くとも三十路に入る頃までには正確に見抜いていた、と――
僕は感じます。
その洞察の契機となったのが――
あの道長邸での宴席の出来事ではなかったか――
そのように僕は思うのです。