藤原氏の摂関政治の全盛期を築いたのは、一般的には、道長(みちなが)・頼通(よりみち)の二人であるといわれていますが――
実は、道長・隆家(たかいえ)の二人ではなかったか――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
それくらいに――
僕は、藤原隆家(ふじわらのたかいえ)という人物の能力や人柄を高く評価したいと思っているのですが――
そう思えば思うほどに、
――なぜ、あんな失敗をしでかしてしまったのか。
ということが疑問に思えてくるのです。
――あんな失敗
というのは――
8月21日から8月24日にかけての『道草日記』で述べた失敗――
つまり、
――自分の従者に命じて花山(かざん)法皇(ほうおう)へ矢を射かけさせたこと
です。
隆家が 17 歳の時の失敗でした。
いくら同腹の兄・藤原伊周(ふじわらのこれちか)に泣きつかれたにしても――
前天皇へ矢を射かけさせるという行為は――
兄・伊周や隆家自身の政治生命の行く末にとって――
とんでもなく危険で、かつ実利に乏しい行為でした。
なぜ、こんなバカげた博打に乗り出したのか――
……
……
一言でいえば、
――若さゆえの過ち
でしょう。
人として未熟であったがゆえに、その背後に隠れた甚大な危険性を見抜けず、まったく必要のない賭けに出てしまった――
僕なりの述べ方をすれば――
8月19日の『道草日記』で述べた通り、
――再起不能の損害
に無頓着であった――
ということです。
これは――
指導の問題です。
もっといえば――
父親の指導の問題です。
――人生に博打は有用だ。ただし、それに負けたらどうなるかは必ず考えろ。
それは――
父親が息子たちへ必ず伝えなければならない警告です。
なぜか――
こんな警告を真剣に伝えられるのは、父親くらいであるからです。
母親では、怯弱の小言になってしまう――
祖父では、老いの繰り言になってしまう――
若き日の隆家は――そして、おそらくは兄・伊周も――
そのような指導を父・道隆から受けていなかったのです。
酒を飲むのに忙しかったか――
……
……
父親が、ほんの一言か二言か、囁いてやっていれば――
それで済んでいた話でした。
些細なことです。
実に些細なことです。
それだけに、
(惜しい)
と思います。