マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

藤原隆家のこと(25)

 藤原氏摂関政治の全盛期を築いたのは、一般的には、道長(みちなが)・頼通(よりみち)の二人であるといわれていますが――

 実は、道長・隆家(たかいえ)の二人ではなかったか――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 それくらいに――

 僕は、藤原隆家(ふじわらのたかいえ)という人物の能力や人柄を高く評価したいと思っているのですが――

 

 そう思えば思うほどに、

 ――なぜ、あんな失敗をしでかしてしまったのか。

 ということが疑問に思えてくるのです。

 

 ――あんな失敗

 というのは――

 8月21日から8月24日にかけての『道草日記』で述べた失敗――

 つまり、

 ――自分の従者に命じて花山(かざん)法皇(ほうおう)へ矢を射かけさせたこと

 です。

 

 隆家が 17 歳の時の失敗でした。

 

 いくら同腹の兄・藤原伊周(ふじわらのこれちか)に泣きつかれたにしても――

 前天皇へ矢を射かけさせるという行為は――

 兄・伊周や隆家自身の政治生命の行く末にとって――

 とんでもなく危険で、かつ実利に乏しい行為でした。

 

 なぜ、こんなバカげた博打に乗り出したのか――

 

 ……

 

 ……

 

 一言でいえば、

 ――若さゆえの過ち

 でしょう。

 

 人として未熟であったがゆえに、その背後に隠れた甚大な危険性を見抜けず、まったく必要のない賭けに出てしまった――

 

 僕なりの述べ方をすれば――

 8月19日の『道草日記』で述べた通り、

 ――再起不能の損害

 に無頓着であった――

 ということです。

 

 これは――

 指導の問題です。

 

 もっといえば――

 父親の指導の問題です。

 

 ――人生に博打は有用だ。ただし、それに負けたらどうなるかは必ず考えろ。

 

 それは――

 父親が息子たちへ必ず伝えなければならない警告です。

 

 なぜか――

 

 こんな警告を真剣に伝えられるのは、父親くらいであるからです。

 

 母親では、怯弱の小言になってしまう――

 祖父では、老いの繰り言になってしまう――

 

 若き日の隆家は――そして、おそらくは兄・伊周も――

 そのような指導を父・道隆から受けていなかったのです。

 

 酒を飲むのに忙しかったか――

 

 ……

 

 ……

 

 

 父親が、ほんの一言か二言か、囁いてやっていれば―― 

 それで済んでいた話でした。

 

 些細なことです。

 

 実に些細なことです。

 

 それだけに、

 (惜しい)

 と思います。