藤原隆家(ふじわらのたかいえ)は、なぜ自分の従者に命じて花山(かざん)法皇(ほうおう)へ矢を射かけさせたのか――
この隆家の行為を――
きのうの『道草日記』では、
――とんでもなく危険で、かつ実利に乏しい行為
とか、
――バカげた博打
とかと述べました。
もちろん――
当の隆家にとっては、
――そんなに危険ではなく、また、それなりに実利が見込める行為
であったはずです。
つまり――
決して、
――バカげた博打
ではなく、
――意義のある博打
であった――
なぜ隆家は、花山法皇へ矢を射かけさせることに意義を見出したのでしょうか。
……
……
その意義について考える上で――
手掛かりになる事件があります。
はっきりとした時期はわかりませんが――
おそらく、隆家が花山法皇へ矢を射かけさせる少し前のことです。
花山法皇は、隆家に向かって、
――たとえお前でも、私の御所の門前を通り抜けることはできまい。
と挑発をしたそうです。
すると――
隆家は、
――この隆家が通り抜けられないということがありましょうか。
と応じたので――
日取りを決めて、実際に隆家らの一行が花山法皇の住まいの正門の前を素通りにできるかどうかを賭けることになりました。
当時――
身分の高い人の住まいの正門の前を素通りにすることは、大変な非礼とされていました――素通りにされる側の体面を傷つけると考えられていたからです。
よって、
――あなたの住まいの正門の前を通り抜けられないかどうかを賭けよう。
と持ちかけること自体が著しく礼を欠いています。
が――
このときは、素通りにされる花山法皇側が素通りにする隆家側に賭けを持ちかけていますから――
ぎりぎりのところで非礼とはいえません。
――ガラが悪い余興の誘いに乗った。
といったところでしょうか。
賭けの当日――
隆家は約束通り、屈強な従者を連れ、頑丈な牛車を用い、花山法皇の自邸の門前を強引に通り抜けようとします。
一方の花山法皇も、荒法師や童子たちを数十人ばかり集め、隆家らの一行が門前を通り抜けようとするのを腕力で妨げました。
激しい押し合いの結果――
隆家らの一行は、ついに門前の通り抜けを諦め、引き返しました。
その様子をみた花山法皇側の者たちは大声で囃し立てたといいます。
賭けに勝った花山法皇は、鼻高々であったようです。
一方――
賭けに敗れた隆家は、後年、
――なぜ、あんな無益なことを口にしたのか。おかげで、とんだ恥をかいてしまった。
と笑っていたそうです。
この事件の顛末から、わかることがあります。
隆家と花山法皇とは、特に仲が悪かったわけではないのですね。
むしろ、仲は良かったのでしょう。
隆家らの一行が花山法皇の自邸の門前を通り抜けようとしたときに――
隆家も花山法皇も、用いたのは素手による腕力のみであり、弓矢などによる武力は全く用いませんでした。
つまり――
この賭け事は隆家と花山法皇との悪ふざけなのですね。
どちらも心のどこかで、この荒事を楽しんでいた――
ある種の信頼関係が、隆家と花山法皇との間にはあったのであろうと思えます。
このような関係があったことは――
隆家が花山法皇へ矢を射かけさせたことの理由を考える上では、ちょっと無視をするわけにはいきません。