マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

この物語の続きを考えてくれ:「虫愛づる姫君」の作者からの呼びかけ

 短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、

 ――虫愛づる姫君

 は、不完全ながらも、

 ――同時代の慣習や通念に非合理性を見出したときに、人は、どのように対処をするのがよいのか。

 という普遍的な問題を扱っている――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――不完全ながらも――

 と述べました。

 

 どういうことか――

 

 その真意は、

 ――虫愛づる姫君

 が提起をしている2つめの問題と深く関わっています。

 

 その問題とは――

 きのうやおとといの『道草日記』でも述べている、

 ――この「虫愛づる姫君」の物語をどのように盛り上げて、どのように終わらせるのがよいのか。

 という問題です。

 

 要するに、

 ――虫愛づる姫君

 が、1つめの問題――

 ――同時代の慣習や通念に非合理性を見出したときに、人は、どのように対処をするのがよいのか。

 という普遍的な問題――

 を完全には扱えていなくて――

 かつ――

 そのことを、作者自身もよくわかっていた――

 

 それゆえに――

 作者は、あえて末尾に、

 ――二の巻にあるべし。

 と書き添えることによって、

 ――この物語は、この後どのように続けていくのがよいのか。

 ということを後世に問いかけた――

 

 そのように考えられます。

 

 ――虫愛づる姫君

 を収めている『堤中納言物語』は、各編の成立年代が違うことからもわかるように、作者も、おそらく各々に違うのですね。

 ――虫愛づる姫君

 の作者が、後世の作家たちに向かって、

 ――誰か、この物語の続きを考えてくれ。

 と呼びかけていたとしても、とくに不自然ではありません。

 

 ――虫愛づる姫君

 の作者は、まさに、

 ――人の一生の時間では収まらない問題

 を扱っています。

 

 そして――

 そのことに、作者自身も、少なからず自覚的であったと考えられます。

 

 もちろん――

 他の可能性も考えられます。

 

 例えば――

 作者自身は、実は、

 ――この物語は、これで終りである。

 と考えていたのであるけれど――

 後世に原文を書き写した者が、

 ――いや、この物語は、まだ終わっていない。

 と考え、あえて末尾に、

 ――二の巻にあるべし。

 と書き添えた――

 という可能性が考えられます。

 

 が――

 

 仮に、そうであったとしても――

 事態の本質は、ほぼ同じです。