短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、
――虫愛づる姫君
の作者は、
――同時代の慣習や通念に非合理性を見出したときに、人は、どのように対処をするのがよいのか。
という普遍的な問題を完全には扱えていなかったために、
――この物語の続きを考えてくれ。
と後世の作家たちに向かって呼びかけているのではないか――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
――虫愛づる姫君
のような、
――主人公が同時代の慣習や通念に非合理性を見出す物語
の終わらせ方は――
通常は3つしか考えられません。
1)主人公が個人的な葛藤を経て非合理的な慣習や通念を受け入れる――
2)主人公が世の中を根底から変えて非合理的な慣習や通念を打ち消す――
3)主人公が非合理的な慣習や通念との共存を図りうる何か新しい発想を弁証法的に示す――
の3つです。
1)の終わらせ方であると、物語は多分に私小説的になって、よほど巧く描かない限り、スケールの小さな物語となります。
2)の終わらせ方であると、物語は勢い政治小説的になって、啓蒙的ないし煽情的ないし説教じみた不穏な物語となります。
よって、3)の終わらせ方で何とか打開を図ろうとするのが有望なのですが、
――何か新しい発想を弁証法的に示す。
というのは、そんなに簡単なことではありません。
――弁証法的に――
とは――
端的にいえば、
――互いに対立や矛盾をしている2つの主張が折り合いをつけられるように、何か新たな主張を導き出すことによって――
という意味です。
――虫愛づる姫君
でいえば――
例えば、
――自然愛好
や、
――環境保全
といった概念を物語に注ぎ込むことで、虫好きの姫に社会的な居場所を設える――
といった発想が考えられます。
が、
――自然愛好
も、
――環境保全
も、20世紀以降に定着をしてきた概念ですから――
300 ~ 1,000 年前の作家たちには、とうてい思いつきえない発想でした。
――さて、困った。この後どうしようか。
――虫愛づる姫君
の作者の途方に暮れる様子が目に浮かぶようです。
その苦悩の本態は、
――この後どうやって物語を続けていけばよいのかがわからない。しかし、この物語は、あきらかに、これで終わりにすべきではない。
という葛藤であったに違いありません。
――二の巻にあるべし。
の書き添えの理由が、よくわかります。