短編物語集『堤(つつみ)中納言物語』の一編、
――虫愛づる姫君
の作者は、虫好きの姫のことをあえて突き放すように描くことで、
――同時代にそぐわない風変わりな言動を押し通そうとする人たちへの風刺
を試みているのではないか――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
つまり、
――虫愛づる姫君
の物語は――
どんなに尤もらしい前提に基づいていて、どんなに正しく理屈を捏ねていたとしても、同時代の人々が馴染んでいる慣習や風潮から外れることを声高に謳い続けるような人たちは、結局は取り返しのつかない損害を被ることになるのである――
という内容の警告である――
ということです。
たしかに――
そうかもしれません。
が――
もし、これが本当に風刺ないし警告なのであれば――
どうしても合点のいかないことがあります。
それは、
――虫愛づる姫君
の末尾に書き添えられた、
――二の巻にあるべし。
です。
風刺ないし警告が目的なのであれば――
こんな書き添えをする必要はないように感じられます。
虫好きの姫は、すでに自身の奇特な言動によって、
――自分の姿を他家の男性にみられる。
という取り返しのつかない損害を物語の中で被っているのです。
そのことを――
虫好きの姫本人は気に留めないのですが――
本人以外の同時代の人々の多数派は、間違いなく、気に留めるのです。
虫好きの姫が、その後も、この時代で暮らし続けていく限り――
いくら本人が「損害」と認めなくても、同時代の人々の多数派によって「損害」と認められてしまう事実は動きません。
そんな損害を被ってしまっているのですから――
この風刺ないし警告の物語は、そこで十分に終わることができるはずです。
にもかかわらず、
――二の巻にあるべし。
……
……
このように考えていくと――
どうしても疑念が首をもたげます。
つまり、
――末尾の「ニの巻にあるべし」は、写本が編まれる際に、作者以外の誰か別の者によって、こっそり書き足された文言ではないか。
という疑念です。