マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

愚かさは結果論でしかわからない

 ――愚かさ

 とは、

 ――知能が目的を成しえない様子

 である――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 いま、

 ――目的を成しえない――

 と現在形で述べましたが――

 実際には、

 ――知能が目的を成しえなかった様子

 というように過去形で述べるほうが妥当です。

 

 ここに、

 ――愚かさ

 の難しさが潜んでいます。

 

 というのは――

 現在、明らかに、

 ――目的を成しえない様子

 であっても――

 未来にわたって永続的に、

 ――目的を成しえない様子

 であるとは限らないからです。

 

 きょうは目的を成しえなさそうであっても――

 もしかしたら――

 あすは目的を成すかもしれない――

 来月は目的を成すかもしれない――

 来年は目的を成すかもしれない――

 次世代は目的を成すかもしれない――

 

 もし――

 未来に目的を成しうるのであれば―― 

 その、

 ――愚かさ

 は、実は、

 ――賢さ

 である――

 ということになります。

 

 つまり、

 ――「愚かさ」は結果論でしかわからない。

 ということです。

 

 同じ理由で、

 ――「賢さ」も結果論でしかわからない。

 といえます。

 

 ……

 

 ……

 

 ――愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

 といいますね。

 19世紀プロセインの政治家オットー・フォン・ビスマルク(Otto von Bismarck)の言葉が基になっているといわれます。

 

 実際のビスマルクは、

 ――愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

 とはいっていないそうです。

 

 では、何といったか――

 

 ――愚者は体験に学ぼうとする。私は歴史に学ぶことで、過ちを避けたい。

 といったそうです。

 

 ここでいう、

 ――歴史

 とは、

 ――他者の失敗の記録

 つまり、

 ――結果論

 です。

 

 まさに、

 ――至言

 といえます。