マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人工知能と中庸――

 ――人工知能と中庸――

 について考えています。

 

 これからの時代――

 人が人工知能を巧妙かつ安全に用いていくには、

 ――中庸

 の概念が重要であると――

 僕は考えています。

 

 今後――

 人が人工知能と末永く――例えば、100 年とか 300 年 とか 1,000 年とか、あるいは、10,000 年とかいった長期間にわたって――付き合っていくのには、

 人工知能は、常に、

 ――中庸

 であろうとすることが必要であるに違いない、と――

 

 ……

 

 ……

 

 ――中庸

 というのは、日常的な言葉で簡単にいってしまえば――

 1月4日の『道草日記』で述べた通り、

 ――愚かでも賢くもないこと

 です。

 

 やや非日常的な言葉で表せば――

 1月13日の『道草日記』で述べた通り、

 ――意識的な凡庸

 です。

 

 要するに――

 人が人工知能をいかに中庸たらしむるか――

 それが――

 人と人工知能との関係を長期にわたって平穏に保つためのカギを握る――

 ということです。

 

 ――人工知能を中庸たらしむる

 とは――

 具体的には、

 ――人工知能の出力が常に凡庸となるように、その指令体系を調える。

 ということです。

 

 当然のことながら――

 人工知能の指令体系を定める技術者は、

 ――中庸

 の何たるかに精通をしている必要があり――

 その人工知能が確かに凡庸な出力を恒常的かつ永続的に繰り返すように十分に差配をする必要があります。

 

 ……

 

 ……

 

 ――中庸

 の何たるかに精通をしている必要がある――

 と述べました。

 

 そもそも、

 ――中庸

 の何たるか――

 とは、どのようなことか――

 

 それが気になります。

 

 つまり、

 ――愚かでも賢くもない

 とは、どういうことか――

 

 ……

 

 ……

 

 続きは、あす――