マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

退き際の放棄

 ――退き際は難しい。

 ということを――

 おとといの『道草日記』以降――
 繰り返し述べています。

 ……

 ……

 どれくらい難しいかを体感しようと思って――

 試みに――
 この国の歴史で――
 権力の集中に成功した人物の退き際を――
 いろいろと調べてみました。

 ここでいう、

 ――権力の集中

 とは――
 いわゆる政権(ないし王権)の樹立を指します。

 よって――
 例えば、平安期の藤原道長や鎌倉期の北条義時、室町期の足利義満、江戸期の徳川吉宗などの例は除きます。

 彼らは、いずれも――
 厳密には、既存の政権を継承し、掌握したのであって――
 新規に確立したわけではありません。

 また――
 いわゆる明治維新については――
 たしかに政権の樹立とはいえるでしょうが――
 その立役者を一人に絞るのは難しいので――
 やはり、除きます。

 さらにいえば――
 いわゆる朝廷については――
 その起源として、ヤマト王権が想定されていますが――
 そのヤマト王権の樹立の経緯は、ほとんど明らかになっていませんので――
 これも、除きます。

 以上の考察を経て残るのは、

  源頼朝

 の三者でしょう。

 これらのうち――
 まず、源頼朝についていえば――

 そもそも権力の集中があったのかどうか――
 ただ武士たちの権威を集めただけではないかいった疑義の他に――
 実は暗殺されたのではないかといった疑義もありますので――
 退き際を考える上では、不適切でしょう。

 足利尊氏についていえば――
 源頼朝よりは権力の集中に成功したといえますが――
 肝心の退き際が、指摘できません。

 死ぬまで政権を握っていたので――
 実は、退いていないのです。 

 よって――
 権力の集中に成功した人物の退き際として――
 唯一、妥当そうなのが、徳川家康なのですが――

 その徳川家康にしても――
 たしかに、徳川幕府の将軍職を早々と息子に譲ってはいますが――
 後世、

 ――大御所

 という一般名詞を残したことからもわかるように――
 実質的には最期まで隠然たる統制を政権内で保っていました。

 つまり――
 徳川家康も、実は退いていないのですね。

 ……

 ……

 こうした歴史が示唆することは――
 実に興味深いのです。

 権力の集中に成功した人物は――
 実は、退いていない――つまり、退き際がない――

 これは――
 何を意味するのか――

 ……

 ……

 僕は、

 ――退き際の放棄

 ではなかったか、と――
 想像します。

 彼らは――
 権力の集中に成功した者が退くことの難しさを痛感していた結果――
 結局は、終生、退くことを回避し続けた――

 そういうことではなかったか、と――
 思うのです。