後鳥羽上皇は――
農地等の管理者(在地領主)たちと膝詰めで語り合う機会をもちえなかったので――
というようなことを――
おとといの『道草日記』で述べました。
……
……
では――
どの時点であったでしょうか。
すなわち――
いつでしょう?
……
……
いろいろな考え方が成り立つようです。
極端な考え方としては、
――1~2年前に決めた。
というものと、
――物心がついたときに決めた。
というものとの2つがあります。
両極端といってよいでしょう。
……
……
これら2つのうち――
「1~2年前に決めた」というのは――
承久の乱が起こる2年前に――
との着眼によります。
その「事件」とは、
――大内裏の焼失
です。
天皇家の権威の象徴です。
その大内裏を守る役目を負っていたのは――
源頼朝とは別の系統の源氏です。
その源頼茂が――
承久の乱が起こる2年前に謀叛を起こし――
大内裏の一角に立てこもりました。
謀叛それ自体は――
速やかに鎮圧されたのですが――
その過程で、大内裏が焼け落ちてしまいます。
鎮圧を命じたのは後鳥羽上皇自身でしたが――
まさか大内裏が焼け落ちるとは思っていなかったようです。
大きな痛手でした。
衝撃を受けた後鳥羽上皇は――
ほどなく病気になって、ひと月ほど寝込んでしまったといいます。
回復をすると――
ところが――
再建は思うように進みません。
再建の費用を供与するように命じられた農地等の管理者(在地領主)たちが――
無言の抵抗をしたからでした。
それが――
後鳥羽上皇にはわかりません。
彼らと膝詰めで語り合う機会がなかったからです。
――なぜ従わぬ? この余が命じているというのに……!
再建が進まない理由を――
――鎌倉の奴らが勝手な政治を行っておるからに違いない。
こうして――
後鳥羽上皇は――
鎌倉幕府を倒そうと決意します。
その目的は――
大内裏の再建を進めるため――
……
……
以上が、
とする考え方の概要です。
……
……
が――
この考え方には弱点があります。
最大の弱点は――
いま一つ、不明確な点です。
一応は――
実は――
源頼茂は謀叛を起こしたのではなく――
先手を打たれて、後鳥羽上皇によって征伐された――
と考えることもできるのです。
そうであれば――
……
……
この弱点を克服する考え方があります。
そうした考え方の1つが――
先ほども述べた、
です。
具体的に――
どのような考え方か――
……
……
この続きは――
それなりに長くなるので――
また、あすに――