マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

後鳥羽上皇のこと(8)

 後鳥羽上皇は――
 農地等の管理者(在地領主)たちと膝詰めで語り合う機会をもちえなかったので――

 後鳥羽上皇承久の乱を起こすのは必然であった――

 というようなことを――
 おとといの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 では――

 後鳥羽上皇承久の乱を起こすと決断をしたのは――
 どの時点であったでしょうか。

 すなわち――
 後鳥羽上皇鎌倉幕府を倒そうと決めたのは――
 いつでしょう?

 ……

 ……

 いろいろな考え方が成り立つようです。

 極端な考え方としては、

 ――1~2年前に決めた。

 というものと、

 ――物心がついたときに決めた。

 というものとの2つがあります。

 両極端といってよいでしょう。

 ……

 ……

 これら2つのうち――
 「1~2年前に決めた」というのは――

 承久の乱が起こる2年前に――
 後鳥羽上皇鎌倉幕府を倒そうと考える契機となった事件が起こっている――
 との着眼によります。

 その「事件」とは、

 ――大内裏の焼失

 です。

 「大内裏」とは天皇の御所ですね。
 天皇家の権威の象徴です。

 その大内裏を守る役目を負っていたのは――
 源頼茂という有力御家人です。

 祖父は『平家物語』に登場する源頼政で――
 源頼朝とは別の系統の源氏です。

 その源頼茂が――
 承久の乱が起こる2年前に謀叛を起こし――
 大内裏の一角に立てこもりました。

 謀叛それ自体は――
 速やかに鎮圧されたのですが――
 その過程で、大内裏が焼け落ちてしまいます。

 鎮圧を命じたのは後鳥羽上皇自身でしたが――
 まさか大内裏が焼け落ちるとは思っていなかったようです。

 天皇家の権威の象徴である大内裏が失われたことは――
 天皇家にとって、ひいては天皇家の当主である後鳥羽上皇にとって――
 大きな痛手でした。

 衝撃を受けた後鳥羽上皇は――
 ほどなく病気になって、ひと月ほど寝込んでしまったといいます。

 回復をすると――
 後鳥羽上皇は、さっそく大内裏の再建を命じました。

 ところが――
 再建は思うように進みません。

 再建の費用を供与するように命じられた農地等の管理者(在地領主)たちが――
 無言の抵抗をしたからでした。

 彼らにとって、大内裏の再建は、後鳥羽上皇が感じていたほどに切羽詰まった課題ではなかったのです。

 それが――
 後鳥羽上皇にはわかりません。

 彼らと膝詰めで語り合う機会がなかったからです。

 ――なぜ従わぬ? この余が命じているというのに……!

 再建が進まない理由を――
 後鳥羽上皇鎌倉幕府の存在に求めました。

 ――鎌倉の奴らが勝手な政治を行っておるからに違いない。

 こうして――
 後鳥羽上皇は――
 鎌倉幕府を倒そうと決意します。

 その目的は――
 大内裏の再建を進めるため――

 ……

 ……

 以上が、

 ――後鳥羽上皇承久の乱を起こすと決めたのは、乱を起こす1~2年前である。

 とする考え方の概要です。

 ……

 ……

 が――
 この考え方には弱点があります。

 最大の弱点は――
 大内裏が焼失する原因となった源頼茂の謀叛の理由が――
 いま一つ、不明確な点です。

 一応は――
 源頼茂鎌倉幕府の将軍の地位を求めたからと考えられているのですが――

 実は――
 源頼茂は謀叛を起こしたのではなく――
 後鳥羽上皇鎌倉幕府を倒そうと密かに画策していることに気づいた矢先に――
 先手を打たれて、後鳥羽上皇によって征伐された――
 と考えることもできるのです。

 そうであれば――
 後鳥羽上皇は、大内裏が焼失する前から、承久の乱を起こそうと決めていたことになります。

 ……

 ……

 この弱点を克服する考え方があります。

 そうした考え方の1つが――
 先ほども述べた、

 ――後鳥羽上皇承久の乱を起こすと決めたのは、物心がついてすぐである。

 です。

 具体的に――
 どのような考え方か――

 ……

 ……

 この続きは――
 それなりに長くなるので――

 また、あすに――