どんな人でも生きたいと思う――
当たり前ですよね。
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時折、ハッとすることがあります。
――人に迷惑ばかりをかけ、何の役にも立っていない者には、生きる資格がない。
などと発言する人がいたときです。
一見、正しいように感じられます。
が、そうではありません。
世の中には様々な人がいます。
人に迷惑をかけたくないのに、かけざるを得ない人――人の役に立ちたいのに、役に立てない人――などです。
例えば、重度の障害を負っている人などは、そうでしょう。
これは、もう、どうしようもないことです。
もちろん――
障害を負った人たちが、人に迷惑をかけないで済むように――あるいは、人の役に立つことができるように――
そういう努力は、社会の隅々で、日々、継続されています。
が、障害が極端に重い場合は、どうしようもない。
本当に、どうしようもないのです。
そのような例を、私は今日まで幾つも目の当たりにしてきました。
多分、
――生きる資格がない。
などと、うっかり発言してしまう人は、そうした事実に思いが至っていないのだと思います。
こうした「うっかり」を防ぐには、どうしたらいいのか――
想像をし、共感をすること――
それしかありません。
昨今の教育現場でも、盛んにいわれていることです。
重度の障害を負ったらどうなるか――
どう感じるか――
そこに思いを至らせることで、「うっかり」を減らすことができます。
が、あくまで減らせるだけなのですよね。
なくなりはしない。
想像や共感には限界があります。
どんなに注意し、努力をしても、想像し損ね、共感し損ねることはあります。
それが人です。
想像や共感の限界を意識することの大切さは、どんなに強調されても、されすぎることはないと感じます。
自分の能力の限界を意識して初めて、人は、自分の能力を最大限に引き出せると思うのです。