マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

想像や共感の限界

 どんな人でも生きたいと思う――
 当たり前ですよね。

     *

 時折、ハッとすることがあります。

 ――人に迷惑ばかりをかけ、何の役にも立っていない者には、生きる資格がない。

 などと発言する人がいたときです。

 一見、正しいように感じられます。

 が、そうではありません。

 世の中には様々な人がいます。
 人に迷惑をかけたくないのに、かけざるを得ない人――人の役に立ちたいのに、役に立てない人――などです。

 例えば、重度の障害を負っている人などは、そうでしょう。

 これは、もう、どうしようもないことです。

 もちろん――
 障害を負った人たちが、人に迷惑をかけないで済むように――あるいは、人の役に立つことができるように――
 そういう努力は、社会の隅々で、日々、継続されています。

 が、障害が極端に重い場合は、どうしようもない。
 本当に、どうしようもないのです。

 そのような例を、私は今日まで幾つも目の当たりにしてきました。

 多分、

 ――生きる資格がない。

 などと、うっかり発言してしまう人は、そうした事実に思いが至っていないのだと思います。

 こうした「うっかり」を防ぐには、どうしたらいいのか――

 想像をし、共感をすること――
 それしかありません。

 昨今の教育現場でも、盛んにいわれていることです。

 重度の障害を負ったらどうなるか――
 どう感じるか――

 そこに思いを至らせることで、「うっかり」を減らすことができます。

 が、あくまで減らせるだけなのですよね。
 なくなりはしない。

 想像や共感には限界があります。
 どんなに注意し、努力をしても、想像し損ね、共感し損ねることはあります。
 それが人です。

 想像や共感の限界を意識することの大切さは、どんなに強調されても、されすぎることはないと感じます。

 自分の能力の限界を意識して初めて、人は、自分の能力を最大限に引き出せると思うのです。