マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

“メンデルの法則”の示唆:遺伝子は「情報」以外の何物でもない

――メンデル(Mendel)の法則 がもたらしている最も重要な示唆は、 ――自然界では、情報が人の心の営みを介さない形で飛び交っている。 ということであった、ということを―― 1月27日の『道草日記』で述べました。 ――メンデルの法則 と、 ――情報 とは、具体的に…

“メンデルの法則”が、すぐには受け入れられなかったわけ

21世紀序盤の遺伝学の知見に照らせば、 ――遺伝 の本質は、 ――数理 にはありえないけれども―― 19世紀に生きたオーストリアのキリスト教司祭グレゴール・ヨハン・メンデル(Gregor Johann Mendel)にとっては、 ――数理 こそが、 ――遺伝 の本質に思えたのではな…

メンデルは“遺伝”の本質をどのように感じたか

19世紀オーストリアのキリスト教司祭グレゴール・ヨハン・メンデル(Gregor Johann Mendel)が深い関心を寄せたのは、 ――遺伝 ではなく、 ――遺伝を司っている数理 ではなかったか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 もちろん―― そうであっ…

メンデルが深い関心を寄せたこと

――メンデル(Mendel)の法則 を世に問うた19世紀オーストリアのキリスト教司祭グレゴール・ヨハン・メンデル(Gregor Johann Mendel)は、 ――遺伝 には深い関心を寄せていなかったのではないか―― ということを、おとといの『道草日記』で述べました。 では――…

“メンデルの法則”の大雑把な説明

――メンデル(Mendel)の法則 の厳密な説明は、かなり厄介である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――かなり厄介―― というだけでなく、 ――そんなに面白くない―― ともいえます。 よって―― あえて大雑把な説明をしようと思います。 ――メンデ…

メンデルは「遺伝」に深い関心をもっていたか

――DNA(deoxyribonucleic acid) という物質について―― 日本語で表記をすると、 ――デオキシリボ核酸 という物質について―― 厳密に説明をしようと思うと、なかなかに厄介である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――メンデル(Mendel)の法…

心が自然科学の対象となるには

――遺伝 といえば―― 今日、 ――主に「DNA(deoxyribonucleic acid)」と呼ばれる物質が具現をしている情報が、親から子へ受け継がれること と理解をされます。 ――DNA を日本語で記せば、 ――デオキシリボ核酸 です。 この物質は、厳密に説明をしようとすると、…

遺伝:その理解は数千年前と 300 年前とでどれくらい違っていたか

――心 は、21世紀序盤に生きる僕らにとって、さながら、 ――メンデルの法則もDNAも知らなかった数千年前の人たちにとっての遺伝 である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 …… …… そのように書いたあとで、 (いくら何でも「数千年前」という…

心:メンデルの法則もDNAも知らなかった数千年前の人たちにとっての遺伝

――心 の定義には―― 21世紀序盤を生きる僕らには思いもよらない知識や理解が必要である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 それは―― おそらく、 ――配線 と何らかの関係があるでしょう。 ――配線 というのは、11月27日の『道草日記』で述べた…

「心」の定義を真剣に試みて、わかること

――心 の定義は―― 少なくとも21世紀序盤の現代においては―― おそらく不可能です。 なぜ、そういえるのか―― …… …… それは―― とりあえず、 ――心 の定義を真剣に試みてみれば―― だいたいは、わかります。 …… …… いかがでしょう? あなたなら―― どのように、 ――心…

精神科医に名医はいるか

――心の中を覗く。 というのは、 ――その“心”の持ち主が「ああ、自分は今、心の中を覗かれてしまった!」と感じてしまうくらいに正確に、その発言や行動の理由を推し量ることができるようになる。 という意味である―― ということを、きのうの『道草日記』で述…

「心の中を覗く」とは?

――人は、自分の心の中を誰かに覗かれるのが、そんなに好きではない。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 こう述べると、 ――そんなことはない。私は自分の心の中を覗かれてもよい。むしろ、覗いてくれたほうが嬉しい。 と反論をする向きもあ…

精神科医に人工知能は置き換わるか

脳を含む神経系について、 ――“配線”の乱れ の実態の殆ど全てを、21世紀序盤に生きる僕らは、まだ知らない―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 今後、 ――配線 の実態が明らかになるにつれて、 ――“配線”の乱れ の実態も明らかになり―― その乱…

「新奇の病因分類」の「新奇」の意味

精神医療における新奇の病因分類として、 ――外因ないし内因――つまり、体因――こそが、唯一の病因である。 との主張を、きのうの『道草日記』で示しました。 ここでいう、 ――新奇の病因分類 について―― この「新奇」を、 ――新規 としなかったことには、2つ訳…

心の病気も、結局は体の病気であったか

精神医療における旧来の病因分類について、 ――心因 とは、 ――“演算”の歪み であり、 ――外因ないし内因――つまり、体因―― とは、 ――“配線”の乱れ であるのではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ここで挙げた、 ――“演算”の歪み と、 …

心因の実態:“演算”の歪み

精神医療における旧来の病因分類について―― 外因と内因とに本質的な差異はなく、どちらも、根源的には、 ――体因 つまり、 ――非心因 とみなせるのではないか、ということを―― そして―― その実態は、 ――“配線”の乱れ ではないか、ということを―― きのうの『道…

外因と内因とに本質的な差異はあるか

精神医療における旧来の病因分類について、 ――「心因」は存在をしない。 との仮定―― および ――「外因」も「内因」も根源は同じである。 との仮定に立つと、 ――“病的な体験”の原因は全て体因である。 との結論に至る―― ということを、きのうの『道草日記』で…

“病的な体験”の原因は全て体因ではないか

精神医療における旧来の病因分類は、 ――おそらくは間違っている。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 おとといの『道草日記』で述べたように―― 精神医療における旧来の病因分類とは、 1)心因 2)外因 3)内因 のことです。 繰り返します…

旧来の病因分類は、おそらく間違っている

精神医療における旧来の病因分類の考えと、 ――“配線”の乱れが“病的な体験”を引き起こしている。 との考えとは、おそらく相容れないのであるけれど―― それでも、 ――“配線”の乱れが“病的な体験”を引き起こしている。 と考えることが有効ではないか―― というこ…

精神医療における旧来の病因分類の考え

現代の精神医療では、 ――“配線”の乱れが“病的な体験”を引き起こしている。 ということを前提に、 ――“配線”の乱れは全てのヒトがもっているけれども、その乱れが十分に僅少であれば、体に強く負担がかかっているときであっても、“演算”に歪みが生じることはな…

“病的な体験”が永続をしないこともあるので――

――“配線”の乱れは全てのヒトがもっているけれども、その乱れが十分に僅少であれば、“演算”に歪みが生じることはない。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 例えば―― 神経細胞(nerve cell)どうしの誤った接続を、切断はできないまでも、無効…

“配線”の乱れは、おそらくは連続的――

現代の精神医療は、 ――“配線”の乱れが“病的な体験”を引き起こしている。 との仮説に立脚をするのがよいであろう―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 やや詳しく述べるならば、 ――“配線”の乱れが、“演算”に歪みをもたらし、“演算”の歪みが“…

“病的な体験”の原因を「“配線”の乱れ」で説く

――“配線”の乱れ の概念は、現代の精神医療に有効である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 裏を返すと、 ――“病的な体験”の原因を「“配線”の乱れ」で説く。 ということです。 ここでいう、 ――“配線”の乱れ とは、 ――病的な体験 つまり、 ――…

精神医療で有効な概念:“配線”の乱れ

現代の精神医療の現実的な目標は、 ――“配線”の乱れをできるだけ減らす。 である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 そのために―― 正常な“演算”をあえて薬剤で抑え込んでいるのである、と―― …… …… ここでいう、 ――“配線”の乱れ とは、 ――病…

現代の精神医療の治療方針は“配線”の概念を抜きには語れない

現代の精神医療の治療方針に―― 12月27日の『道草日記』で述べた、 ――“病的な体験”は“神経単位(neuron)”の異常な“配線”で起こる正常な“演算”ではないか。 という考え方に照らしてみると―― それまでにみえていなかったことが色々とみえてくるようになります…

“病的な体験”を和らげるとされる薬剤は、いかに神経細胞に作用をするか

――“病的な体験”を和らげるとされる薬剤 は、主に、 ――神経細胞(nerve cell)どうしの接続の部分 に対して一時的な作用をすることが、ほぼ確実にわかっている―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 この“接続の部分”は、英語では、 ――Synapse…

“病的な体験”を和らげるとされる薬剤が“配線”ではなく“演算”に作用をしていると考えられる理由

――“病的な体験”を和らげるとされる薬剤が“ジワジワと強まる効果”をもたらすのは、その薬剤が体の内部に十分に溜まってくると、まず“神経単位(neuron)”の“演算”の過剰な稼働を抑え、次いで“神経単位”の“配線”の自然治癒を促しているからではないか。 という…

“病的な体験”を和らげるとされる薬剤の“ジワジワと強まる効果”の説明

――“病的な体験”を和らげるとされる薬剤については、その薬剤を 30 ~ 100 日くらい毎日、飲み続けることで、ジワジワと効果が強まってくるらしいことが知られている。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 この“ジワジワと強まる効果”について…

“病的な体験”を和らげるとされる薬剤に関する興味深い事実

――“病的な体験”に対し、対症療法を十分に行う場合と不十分に行う場合とで、その後の経過に差が出る。 との命題を扱うときには、 ――“その後の経過”に本当に差が出ていることを厳密に示すには非人道的な観察が必要であり、それは事実上、不可能である。 との留…

その“対症療法”が“病的な体験”を本当に和らげているか否か

――“病的な体験”に対し、対症療法を十分に行う場合と不十分に行う場合とで、その後の経過に差が出る。 との命題には幾つもの留保がつきまとう―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 最も深刻な留保は―― きのう述べた通り―― この命題の妥当性を…