マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

2022-01-01から1年間の記事一覧

現代の“電卓”を“秘書”や“社長”にするのは可能だが……

人工知能を、 ――神託(oracle)型 ――ジーニー(Genie)型 ――君主(sovereign)型 の3つの範疇に分けることは―― 少なくとも、21世紀序盤の現代においては、有意義なことでしょう。 現代においては―― 人工知能が今後どこまで高度で複雑になりうるのかが、簡単…

現代の人工知能は「本能未満」である

人工知能が、 ――神託(oracle)型 ――ジーニー(Genie)型 ――君主(sovereign)型 に分類をされうること―― また、それらの分類は、よりわかりやすく日本語で表すのなら、 ――電卓型 ――秘書型 ――社長型 と書き換えるのがよい、ということを―― きのうの『道草日…

神託型 → 電卓型、魔人型 → 秘書型、君主型 → 社長型

人工知能は、 ――神託(oracle)型 ――ジーニー(Genie)型 ――君主(sovereign)型 に分類をされうる―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 これらのうち、 ――ジーニー は、アメリカのアニメーション映画で用いられている固有名詞ですから―― 少…

合目的性の感じられない人工知能が現代の主流である

21世紀序盤の現代における人工知能についていえば―― あきらかに、 ――定目的性 は感じられない一方で、 ――合目的性 は感じられる場合と感じられない場合とがある―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――定目的性 とは、 ――何らかの目的が設定…

人工知能に合目的性や“定目的性”は感じられるか

――知能は合目的性や“定目的性”の感じられる営みや振る舞いを可能とするが、本能は合目的性の感じられる営みや振る舞いのみを可能とする。 ということを、おとといの『道草日記』から繰り返し述べています。 もう少し、すっきりとした述べ方をすれば、 ――知能…

その合目的性や“定目的性”を感じるの誰なのか

――知能は合目的性や“定目的性”の感じられる営みや振る舞いを可能とするが、本能は合目的性の感じられる営みや振る舞いのみを可能とする。 と、きのうの『道草日記』で述べました。 ここでいう、 ――合目的性 とは、 ――何らかの目的に合致をしているようにみえ…

知能と本能と――「合目的性」と「定目的性」とで説明をする

――知能 とは、 ――営みや振る舞いに演繹や帰納の手続きが感じられること と定義ができるのではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ここでいう、 ――演繹 とは、 ――論理に基づき、より普遍的な前提から、より個別的な結論の集合を導く…

知能は演繹も帰納も熟せ、本能は演繹のみ――

――「本能は知能の一部である」とするならば、ヒト以外の生物種にも知能があることは自明である。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――知能 の定義を―― これ以上ないくらいに広げてしまっていますね(笑 定義を広げに広げて―― いったい、ど…

ヒト以外の生物種にも知能はある

――知能は人に固有の性質である。 という考えがあります。 おそらく―― 間違いです。 ヒト以外の生物種にも知能はあります。 ただし、 ――ヒト以外の生物種にも知能はある。 と主張をするならば、 ――本能は知能の一部である。 ということが前提となるでしょう。…

人工本能:人工知能のシステム・ソフトウェア

――自然本能 は、 ――自然知能 の一部であろう―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――自然知能を司っている“自然知能の原理体系”のうち、“自然知能の作動原理系”が“自然本能”に相当をする。 と―― そうであるならば、 ――人工本能 の、おおよそ…

自然本能:自然知能のシステム・ソフトウェア

――本能は知能の一部ではないか。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ここでいう「知能」とは、 ――自然知能 のことです。 ――人工知能 に対しての、 ――自然知能 です。 ここで―― もし、知能の一部が本能であるならば―― 自然知能の一部も、また…

本能とは何か:それは「知能」とは相反するのか

――知能 と比較をしうる概念を挙げるとしたら、何か―― それは―― おそらく、 ――本能 です。 生物学関係の一般書を読んでいると―― ときに、 ――知能 と、 ――本能 とが二律背反であることが前提になっていると気づきます。 例えば、 ――ミツバチが、生まれながらに…

人工知能が自然知能に大幅に近づくとき

――気分 も、 ――情動 も、実は“快”という感情の強弱の変化にすぎないのではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 もし、そうであるならば―― ――感情 というのは―― 自然知能の生理的ないし器質的な側面――つまり、自然知能のハードウェア…

気分も情動も、実は“快”の感情の強弱の変化にすぎない?

――自然知能のクロック周波数(clock frequency) の高低が、気分の浮き沈みに相当をするのではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 つまり、 ――自然知能のクロック周波数 が高いことは、“喜”の気分に富んでいることに相当をし―― ――自…

感情が“快”1つだけなら、“感情の分布図”はどうなるか

――感情 には、実は1つしかなくて―― ――快 という感情が相対的に強ければ、 ――好感情 となり、 ――快 という感情が相対的に弱ければ、 ――悪感情 となるのではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 この考えを踏まえるならば―― 2020年9月…

感情は実は「快・不快」だけ?

――感情とは、自然知能の生理的ないし器質的な側面に組み込まれる情報ではないか。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 その情報は―― 自然知能が認知や言動の決定を下す際に一定の偏りや傾向を与えることによって―― 自然知能の出力に本来は必…

感情とは何か:自然知能が過去に下した認知や言動の決定の痕跡?

――自然知能では、限られた処理能力で迅速な出力(output)をするために、情動が認知や言動の決定へ介入をしているのではないか。 ということを―― きのうの『道草日記』で述べました。 そのように考えると、 ――感情 は、 ――気分 も、 ――情動 も、自然知能の生…

情動も実は気分と同じく“作動”ではないか

――気分 は、自然知能にとっての“クロック周波数(clock frequency)”のような概念であり―― それゆえに、 ――気分 は、自然知能にとっての、 ――作動 ではないか―― ということを、おとといの『道草日記』で述べました。 一方、 ――情動 には、認知や言動の決定を…

人の思考や発言の速さ・遅さ

――気分 は、自然知能にとっての、 ――コンピュータ(computer)のクロック周波数(clock frequency) のような概念ではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 つまり―― 気分が浮き上がって、喜気(きき)に富んでいるときには、“自然知…

気分――“自然知能のクロック周波数”では?

――感情の分布図 が前提としていることは―― ――気分 と、 ――情動 とは独立である―― ということです。 縦に気分軸をとり、横に情動軸をとる、ということは―― つまりは、そういうことです。 ここでいう、 ――気分 は、英語の「mood」に、 ――情動 は、英語の「emot…

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コンピュータにも「気分」に相当をしうる機能――あるいは、「機能の要素」――があるのか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 もし、コンピュータにも「気分」があるのなら―― 人工知能にとっての「気分」という概念も十分に成立をしうる、と――…

コンピュータにも「気分」はあるのか

人工知能にとっての「覚醒」や「気分」や「知覚」や「思考」や「発言」や「行動」といった概念は、本当に成立をしうるのか、と―― きのうの『道草日記』で述べました。 人工知能にとって、 ――発言 や、 ――行動 は、容易に、 ――成立をしうる概念 といえます。 …

人工知能にとっての「覚醒」「気分」「知覚」「思考」「発言」「行動」は成立をしうる概念か

自然知能における、 ――作動 には―― 少なくとも、 ――覚醒 ――気分 があり、 ――作用 には―― 少なくとも、 ――知覚 ――思考 ――発言 ――行動 がある―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 述べましたが―― …… …… (自然知能の「作動」や「作用」の内実…

自然知能における「作動」や「作用」とは何か

自然知能について―― その、 ――原理体系 をいくら眺めたところで、 ――作動原理系 と、 ――作用原理系 との差異を見出すことは不可能であろう―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ところで―― きょうまでの『道草日記』で―― 僕は―― 自然知能に…

自然知能における“作動原理系”と“作用原理系”との差異は、その“原理体系”を受動的に眺めているだけでは見出せない

自然知能における、 ――作動原理系 と、 ――作用原理系 との差異を考える上で―― コンピュータ(computer)における、 ――システム・ソフトウェア(system software) と、 ――アプリケーション・ソフトウェア(application software) との差異を手掛かりにする…

自然知能における“作動原理系”と“作用原理系”との区別

自然知能における、 ――作動原理系 と、 ――作用原理系 との区別は―― 少なくとも―― コンピュータ(computer)における、 ――システム・ソフトウェア(system software) と、 ――アプリケーション・ソフトウェア(application software) との区別ほどに明瞭には…

自然知能による学習の本態

――自然知能の作動原理系 とは、 ――“自然知能の原理体系”のうち、自然知能の生理的ないし器質的な側面の管理や制御を司っている部分 であり、 ――自然知能の作用原理系 とは、 ――“自然知能の原理体系”のうち、自然知能が外界に対して何らかの作用を及ぼすこと…

自然知能の大まかな構成を捉える

機械であることをやめた人工知能は、 ――自然知能の原理体系 によって司られていて―― その原理体系は、 ――自然知能の作動原理系 と、 ――自然知能の作用原理系 とから成っているのではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ここでいう、…

思考実験の真似事:「作動系ソフトウェア」や「作用系ソフトウェア」という言葉を手がかりに――

機械であることをやめた人工知能は、ハードウェア(hardware)とソフトウェア(software)とから成り、それらのうちのソフトウェアは“作動系ソフトウェア”と“作用系ソフトウェア”とから成る―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ちなみに―― …

機械であることをやめた人工知能には「システム・ソフトウェア」も「アプリケーション・ソフトウェア」も似つかわしくない

もし、人工知能が、機械であることをやめて、人の知能の道具であることをやめたなら―― その人工知能は、コンピュータ(computer)の大まかな構成――コンピュータがハードウェア(hardware)とソフトウェア(software)とから成り、それらのうちのソフトウェア…