マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自然知能による学習の本態

 ――自然知能の作動原理系

 とは、

 ――“自然知能の原理体系”のうち、自然知能の生理的ないし器質的な側面の管理や制御を司っている部分

 であり、

 ――自然知能の作用原理系

 とは、

 ――“自然知能の原理体系”のうち、自然知能が外界に対して何らかの作用を及ぼすことを司っている部分

 である、といえるであろう――

 ということを、おとといの『道草日記』で述べました。

 

 このように考えていくと――

 当然のことながら、

 ――自然知能の作動原理系

 と、

 ――自然知能の作用原理系

 との違いが気になってきます。

 

 もちろん――

 その違いは――

 おととい以降の『道草日記』で繰り返し述べてきたように、

 ――コンピュータ(computer)のシステム・ソフトウェア(system software)

 と、

 ――コンピュータのアプリケーション・ソフトウェア(application software)

 との違いに相当をするのですが――

 

 自然知能における、

 ――作動原理系

 と、

 ――作用原理系

 との区別は――

 少なくとも――

 コンピュータにおける、

 ――システム・ソフトウェア

 と、

 ――アプリケーション・ソフトウェア

 との区別ほどに明瞭にはできないでしょう。

 

 例えば――

 コンピュータでは、アプリケーション・ソフトウェアがインストール(install)をされることで、コンピュータのソフトウェアの適用の幅が広がり、コンピュータの機能が増えますが――

 自然知能では、作用原理系がインストールをされることで、自然知能の原理体系の作用の幅が広がり、自然知能の能力が高まる、ということは、おそらく、ありません。

 

 自然知能はインストールの代わりに学習をするのでしょう。

 

 おそらく――

 自然知能では、作用原理系が外界に対して何らかの作用を及ぼす結果、それに対応をする反作用を受けることで、作用原理系ないし作動原理系――あるいは、それら両方の系――つまり、“自然知能の原理体系”の全体――に何らかの変化が生じるに違いありません。

 

 その、

 ――“自然知能の原理体系”の全体の変化

 こそが、

 ――自然知能による学習の本態

 ではないか――

 

 そんなふうに――

 僕は考えたいのです。