マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧

今日のコンピュータが行っている演算とは全く別の何かを

――“配線”は“演算”に一定の傾向をもたらし、“演算”は“配線”に一定の変化をもたらす。 という観方を踏まえて、 演算 × 配線 = 体験 の図式を振り返ってみると、 ――“配線”が変われば、“演算”も変わるので、“体験”は、おそらくは“配線”や“演算”が変わる以上に変…

“配線”は“演算”に一定の傾向をもたらし、“演算”は“配線”に――

脳を含む神経系において、 ――“配線”は“演算”に一定の傾向をもたらす。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 このことと―― 脳を含む神経系を考える上で有意義と思われる図式の基本形、 演算 × 配線 = 体験 とを考え併せると―― 興味深い結論に…

“配線”は“演算”に一定の傾向をもたらす

脳を含む神経系では、 ――配線 は、 ――演算 の及ぶ範囲を、ある程度、限っていることになる―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 この、 ――限っている の意味には―― 様々な階層があると考えられます。 おそらく―― 最も大雑把な意味では、 ――…

演算と配線と

脳を含む神経系については、 (末梢起始の演算 + 中枢起始の演算)× 神経配線 = 感覚の体験 + 反応の体験 の図式を基本に考える前に―― この図式の更なる基本形である、 演算 × 配線 = 体験 に立ち返って考えることが有意義である―― ということを、きのう…

基本形の図式「演算 × 配線 = 体験」

――内省 とは、 ――既定の“神経配線”において未定の“中枢起始の演算”が行われること ではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 …… …… ちょっと話を先走らせすぎましたね。 そもそも、 ――神経配線 とか、 ――中枢起始の演算 とかいうのは―…

内省の本質

――自我 とは―― おそらく、 ――“末梢起始の演算”および“中枢起始の演算”で用いられる“神経配線”それ自体 であり―― ――自己 とは―― おそらく、 ――“末梢起始の演算”ないし“中枢起始の演算”の進行によって誘発をされる“中枢起始の演算”の結果 の総体である―― とい…

勇み足を承知で、あえて述べれば――

脳を含む神経系について考えるときに―― 基本とするのがよいのは、 (末梢起始の演算 + 中枢起始の演算)× 神経配線 = 感覚の体験 + 反応の体験 の図式ではないか―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 一方―― 自我の起源や自己の生成には…

“記録”とは“神経配線”それ自体――

脳を含む神経系については―― 11月13日の『道草日記』で示した、 (末梢起始の演算 + 中枢起始の演算)× 記録 = 感覚の体験 + 反応の体験 の図式を基本にしたらよい、と―― 僕は考えています。 ただし―― この図式は、1行目の「記録」が扇の要のような役割…

訂正:「脳内配線の類似性」→「神経配線の類似性」

脳を含む神経系について―― 心理的な営為としての、 ――記憶 に対応をする生理的な現象として、 ――記録 を考えるときに―― これに関連をする3つの概念、 ――記録の格納 ――記録の貯蔵 ――記録の照会 のいずれについても―― 鍵を握っているのは、 ――脳内配線の類似…

“記録”で鍵を握っているのは“脳内配線の類似性”である

――記録の格納 ないし、 ――記録の生成 とは、要するに、 ――“脳内配線の類似性”の生成 のことである―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ところで、 ――記録の格納 というのは―― そもそも、どういった概念であったでしょうか。 …… …… ――記憶の…

“記録の格納”ないし“記録の生成”とは、要するに――

――記録の格納 あるいは、 ――記録の生成 とは、 ――“神経細胞どうしの繋がりの様式”に何らかの“関連づけ”がなされること である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ここでいう、 ――記録 とは―― 11月10日および11月11日の『道草日記』で述べ…

“記録の格納”にとって重要な条件

心理的な営為としての、 ――記憶 と―― 生理的な現象としての、 ――記録 との対応を考えるときに―― ――記録 とは、 ――脳を含む神経系を成す神経細胞どうしの繋がりの様式 である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 さらに―― その“様式”を示し…

“記録”は概して形態である

――記録の格納 ――記録の貯蔵 ――記録の搬出 の比喩表現を用いると―― あたかも「記録」という名の物質的な媒体が存在をしていて、それら媒体が脳の特定の部位に格納をされて貯蔵をされたり、必要に応じて搬出をされたりするかのように感じられるけれども―― その…

記憶に物質的な基盤は存在をしない

記憶に関する心理的な営為は、 ――記銘 ――保持 ――想起 の少なくとも3つに細分化をされ―― それら心理的な営為は―― 以下の3つの生理的な現象、 ――記録の格納 ――記録の貯蔵 ――記録の搬出 に、それぞれ相当をする―― ということを、おとといの『道草日記』で述べ…

その“仕分け”が自我の起源や自己の生成に関わっている

脳を含む神経系について、 (末梢起始の演算 + 中枢起始の演算)× 記録 = 感覚の体験 + 反応の体験 の図式における「記録」の役割は非常に重要であり―― とりわけ重要なのは、 ――記録の格納 であろう、ということを―― きのうの『道草日記』で述べました。 …

重要なのは“記録の格納”――

脳を含む神経系について、 (末梢起始の演算 + 中枢起始の演算)× 記録 = 感覚の体験 + 反応の体験 の図式が得られるということを―― また、この図式の1行目の「記録」の果たしている役割が並外れて重要であるということを―― きのうまでの『道草日記』で…

「記録」が並外れて重要――

脳を含む神経系について、 演算 × 記録 = 感覚の体験 + 反応の体験 の図式は、 (末梢起始の演算 + 中枢起始の演算)× 記録 = 感覚の体験 + 反応の体験 に書き換えられる―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ここで留意をしておきたい…

脳を含む神経系が行う演算は“末梢起始”と“中枢起始”との2つ――

脳を含む神経系について、 演算 × 記録 = 感覚の体験 + 反応の体験 の図式を得たことにより―― 今まで、全くわからなかったことが、何となくわかるようになった気がした―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 例えば、 ――勘 や、 ――ひらめき…

「内からの感覚」は、実は反応――

脳を含む神経系について、 機能 = 演算 × 記録 = 感覚の体験 + 反応の体験 の図式を得る―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 とりわけ、 演算 × 記録 = 感覚の体験 + 反応の体験 の図式を得たことによって―― 今まで、全くわからなかっ…

演算 × 記録 = 感覚の体験 + 反応の体験

脳を含む神経系について、 機能 = 演算 + 記録 = 体験 の図式を得る―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 そう述べた後で―― (なんか違うな) と思いました。 (和じゃなくて、積じゃないか) と思ったのです。 つまり、 機能 = 演算 × …

演算 + 記録 = 体験

脳を含む神経系について、 機能 = 演算 ないし、 機能 = 体験 の図式を受け入れるには、 演算 = 体験 の図式を示すことが必要である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 この、 演算 = 体験 の図式を示すには―― 新たな知見か新たな洞察…

「演算 = 体験」の保証を求めて――

脳を含む神経系について、 形態 = 配線 の図式に加え、 機能 = X の図式を考えるときに―― もし、 ――心理と生理との分断 を正直に踏まえるならば―― その「X」には、相異なる2つの言葉「X(1)」と「X(2)」とを埋めざるをえないのであるが―― X(1)…

機能 = 体験

脳を含む神経系について、 形態 = 配線 の図式を踏まえた上で―― これに準え、 ――機能 を記すならば、 機能 = 演算 の図式を得る―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 つまり、 ――ヒトの神経系の機能とは、その神経系を成す全ての神経細胞…

機能 = 演算

脳を含む神経系について、 形態 = 配線 の図式に加え、 機能 = X の図式を考えるときに―― もし、 ――心理と生理との分断 を正直に踏まえるならば―― その「X」には、相異なる2つの言葉を埋めざるをえない―― ということを、きのうの『道草日記』で述べまし…

「形態 = 配線」から「機能 = X」へ

脳を含む神経系においては、 形態 = 配線 である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ここでいう、 ――配線 とは、おとといの『道草日記』で述べたように、 ――神経細胞どうしの接続 のことです。 ところで―― …… …… 形態 = 配線 であるなら…

形態 = 配線

――脳内配線 を中核とする、 ――ヒトの神経系の形態 は、21世紀序盤の現在、ほとんどわかっていない―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――脳内配線 とは―― 脳を成している全ての神経細胞について―― それら神経細胞が各々どのように接続をさ…

“脳内配線”がわかっていない

――“ヒトの神経系の形態”は、厳密には、ほとんどよくわかっていない。 ということを―― 11月1日以降の『道草日記』で繰り返し述べています。 その「ほとんどよくわかっていない」ということの中核は―― おそらくは、 ――脳内配線 です。 ――脳内配線 とは何か―― ……

“心理と生理との分断”を繋げられるか

――ヒトの神経系は、その機能も形態も、よくわかっていない。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 そして、 ――ヒトの神経系の機能 には、 ――心理と生理との分断 がある、とも―― …… …… この“分断”を繋いでいくのは、並大抵のことではないと思っ…

ヒトの神経系は機能も形態もよくわかっていない

――精神医学の領域では、まだ生理学と解剖学とが混然一体となっている。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 あるいは、 ――精神医学における生理学的領域と解剖学的領域とは、まだ混然一体となっている。 と述べてもよいでしょうし、 ――ヒトの…

精神医学では生理学と解剖学とが混然一体となっている

――医学の領域では、「機能 + 形態 = 構造」や「構造 ≠ 形態」の図式への留意が大切である。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 なぜ、こんなことをわざわざ述べるかというと―― それは、僕が、 ――精神医学 に興味をもっているからです。 ど…