マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“心理と生理との分断”を繋げられるか

 ――ヒトの神経系は、その機能も形態も、よくわかっていない。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 そして、

 ――ヒトの神経系の機能

 には、

 ――心理と生理との分断

 がある、とも――

 

 ……

 

 ……

 

 この“分断”を繋いでいくのは、並大抵のことではないと思っています。

 

 生きている人の精神の主観的な側面と――

 生きているヒトの神経系の客観的な側面とを――

 同時に観られるような観察技術の開発を待つしかないでしょう。

 

 生きている人の精神の主観的な側面と生きているヒトの神経系の客観的な側面とを比べたら――

 生きているヒトの神経系の客観的な側面のほうが、いくらかは観やすいはずです。

 

 生きているヒトの神経系に含まれる神経細胞の活動を即時的に観て記録に残せれば、よいからです。

 

 そうした観察技術の開発に、どれくらいの歳月を要するかは、よくわかりませんが――

 少なくとも、

 ――夢物語

 というほどに困難ではないでしょう。

 

 が――

 生きている人の精神の主観的な側面のほうは、かなり観にくいと思います。

 

 自分以外の人の精神の主観的な側面の全体を観るのは――

 おそらく、原理的に不可能でしょう。

 

 それは、

 ――自分以外の誰かに完全に成りきってしまう。

 ということに等しい――

 よって、まさに、

 ――夢物語

 なのです。

 

 が――

 自分以外の人の精神の主観的な側面の全体ではなく、その部分を観ることなら――

 不可能ではないかもしれません。

 

 例えば、自分以外の人の精神の主観的な側面のうち、視覚や聴覚に関わる部分だけなら――

 おそらく、再現は可能でしょう。

 

 再現が可能なら――

 それを記録に残すことも可能に違いありません。

 

 そのようにして記録に残された“人の精神の主観的な側面”の部分と――

 それに対応をしていそうな“ヒトの神経系の機能の客観的な側面”の部分と――

 を互いに照らし合わせることで、

 ――心理と生理との分断

 をある程度は繋げることができるでしょう。

 

 が、

 (その道のりは、とてつもなく険しい)

 と僕は感じます。