マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

本道か別道か

 いわゆるシルクロード(Silk Road)には、

 ――草原の道

 ――オアシスの道

 ――海の道

 の三種がある――

 との見方は、日本語圏に固有のようである。

 

 他の言語圏――例えば、英語圏やドイツ語圏、中国語圏、朝鮮語圏など――では、

 ――草原の道

 を「シルクロード」には含めぬらしい。

 

 その理由として、すぐに考えられるは2つ――

 1つは、

 ――草原の道

 が、他の二種の道より遥か前に開かれていること――

 もう1つは、そもそも、19世紀の地理学者リヒトホーフェン(Richthofen)は、

 ――オアシスの道

 のことのみを「絹の道(Seidenstraßen)」と呼んだこと――

 である。

 

 もっともである。

 

 逆に――

 日本語圏では――

 なぜ、

 ――草原の道

 を「シルクロード」に含めるのか。

 

 おそらく、

 ――草原の道

 も、また、

 ――オアシスの道

 や、

 ――海の道

 と同じように、絹(silk)を運んでいたからである。

 

 ――たしかに絹を運んでいたのだから、「シルクロード」に含めてよいではないか。

 というわけだ。

 

 こうした見方は――

 日本語に特有の発想とまではいえぬ。

 

 この発想が――

 なぜ他の言語圏では採られないのか。

 

 ……

 

 ……

 

 おそらく、

 ――“草原の道”は遊牧民族によって開かれた道であり、農耕民族が開いた道ではないから――

 である。

 

 シルクロードは、あくまでも交易路だ。

 

 ――遊牧民族は農業を筆頭に産業を厭う。産業を厭う者に交易は意味をなさぬ。そのような者たちによって開かれた道が、交易路ではあるはずがない。

 というわけである。

 

 こうした発想に依れば、

 ――草原の道

 が、

 ――シルクロードの本道

 とはいえぬ。

 ――別道

 ということになる。

 

 『随に――』