マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧

藤原隆家のこと(12)

寛仁3年(1019年)12月―― 藤原隆家(ふじわらのたかいえ)は大宰権帥(だざいごんのそち)の官職を辞し、京の都へ戻ります。 ――刀伊(とい)の入寇(にゅうこう) から半年後―― 隆家は 40 歳になっていました。 よって―― さながら凱旋将軍のような役回りで京…

藤原隆家のこと(11)

――刀伊(とい)の入寇(にゅうこう) では―― 大宰権帥(だざいごんのそち)の藤原隆家(ふじわらのたかいえ)の采配が功を奏し―― 九州北部沿岸に押し寄せた武装集団は、沖合いへの撤退を強いられ―― その後、壱岐や対馬を経て朝鮮半島の東方沖へ逃れていった…

藤原隆家のこと(10)

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)が大宰権帥(だざいごんのそち)として九州に下向をすると―― まさに水をえた魚のように、その能力を活かし、かつ、その人柄を慕われました。 隆家が着任をしてから数年ほどで―― 九州在住の貴族や豪族たちの多くが、隆家の施策…

藤原隆家のこと(9)

兄・藤原伊周(ふじわらのこれちか)が亡くなって 2 年ほどが経った頃―― 藤原隆家(ふじわらのたかいえ)は、目の病気を患います。 目の病気にも色々ありますから―― どんな病気であったのかを限られた史料から具体的に思い描くのは難しいのですが―― 先の尖っ…

藤原隆家のこと(8)

藤原道長(ふじわらのみちなが)は、甥・藤原隆家(ふじわらのたかいえ)の、 ――武人としての資質 に、かなり警戒をしていたようである―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 隆家が、同腹の兄・藤原伊周(ふじわらのこれちか)と同様に、地…

藤原隆家のこと(7)

藤原道長(ふじわらのみちなが)は甥・藤原隆家(ふじわらのたかいえ)に対し、ずいぶんと気を遣っていたらしい―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 なぜ道長は気を遣ったのでしょうか。 理由は三つくらい考えられます。 一つは、単純に、 …

藤原隆家のこと(6)

藤原道長(ふじわらのみちなが)は、甥・藤原隆家(ふじわらのたかいえ)に、ずいぶんと気を遣っていたようです。 ――先年の左遷は私が決めたことではなく、帝がお決めになったことだ。 と、隆家本人を前に、直接の釈明をしていたらしいことは、きのうの『道…

藤原隆家のこと(5)

甥・藤原隆家(ふじわらのたかいえ)が自身の従者に命じて法皇(ほうおう)に矢を射かけさせたという不祥事を、ときの右大臣にして内覧(ないらん)であった藤原道長(ふじわらのみちなが)が不問に付せなかった理由は、少なくとも二つある―― ということを、…

藤原隆家のこと(4)

――世中のさがなもの と呼ばれた藤原隆家(ふじわらのたかいえ)にとって―― 同腹の兄のために法皇(ほうおう)へ矢を射かけさせるくらいのことは、さほどの重大事ではなかったに違いない―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 実際には重大事…

藤原隆家のこと(3)

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)は、 ――自分の恋人のもとに花山(かざん)法皇(ほうおう)が通っている。 と誤解をした兄・藤原伊周(ふじわらのこれちか)のために―― 自分の従者を用いて花山法皇へ矢を射かけさせた―― ということを、きのうの『道草日記』…

藤原隆家のこと(2)

兄・藤原伊周(ふじわらのこれちか)の些事に拘る癖が、藤原隆家(ふじわらのたかいえ)の足元をすくった―― と、きのうの『道草日記』で述べました。 ときに隆家、17 歳―― 兄・伊周は 22 歳の頃でした。 ことの発端は―― 花山(かざん)法皇(ほうおう)が、…

藤原隆家のこと(1)

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)は、天元2年(979年)に藤原道隆(ふじわらのみちたか)の四男として生まれました。 長男・次男は妾腹の子であったので―― 事実上の次男――嫡男に次ぐ男子――でした。 父・藤原道隆の父は、藤原兼家(ふじわらのかねいえ)といい…

藤原隆家:“禍々しい損害”を被った人物

――何らかの命が失われるかもしれない可能性に敏感となる。 ということは、 ――命が失われる時期の不適切さや経過の不自然さに敏感となる。 ということにほかならない―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 つまり―― 何らかの命が、 ――え? こ…

命が失われる時期や経過

――“再起可能の失敗”と“再起不能の失敗”との違いに十分に精通をする。 ということは、 ――人命の尊さに敏感となる、 ということに、ほかならない―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 要するに、 ――誰かの命が失われるかもしれない可能性に敏…

人命の尊さに敏感となる

――若いうちに、できるだけ多くの失敗をしておけ。 という助言は―― 実際には、 ――若いうちに、できるだけ多くの“再起可能の失敗”をしておけ。 という意味であり―― その前提には、 ――若いうちから、“再起可能の失敗”と“再起不能の失敗”との違いには十分に精通…

失敗の問題は人命と結びつけられて深まる

――再起不能性 の定義を、 ――失われる人命の数の期待値が 1 以上であること ではなく、 ――失われなくてもよい人命の数の期待値が 1 以上であること とするほうがよい―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ――失われなくてもよい人命 というの…

“失われる人命”には2種類がある

自分自身の命が失われることを予め弁えている事例も含めて、 ――再起不能性 の定義を考えると―― ――失われる人命の期待値が 1 以上であること という定義では不十分のように思える―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 気になるのは、 ――失わ…

その人は再起不能性を見落としているか

――再起不能性 の定義の問題が極度に私秘的(private)であることを踏まえ―― 僕は、 ――失われる人命の数の期待値が 1 以上であること をもって、 ――再起不能性 と、みなしている―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 が―― ちょっと引っかかる…

再起不能性の定義は私秘的である

Aさんに挨拶をして無視をされることは、 ――再起可能の失敗 とみなされることが多いはずであるが―― なかには、 ――それは、たしかに“再起不能の失敗”である。 と感じる人たちもいるはずである―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 そのように…

再起不能性の定義は普遍的でも絶対的でもない

――再起不能性 の定義は様々に考えられる―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 僕の定義は、 ――失われる人命の数の期待値が 1 以上 です。 が―― これが、 ――普遍的で絶対的な基準である。 と主張をするつもりはありません。 何をもって、 ――…

許される看過、許されない看過

失敗は、 再起可能である“利益獲得の失敗” 再起可能である“損害回避の失敗” 再起不能である“利益獲得の失敗” 再起不能である“損害回避の失敗” というように整理ができ―― それぞれの失敗で何が問題かというと、 再起可能である“利益獲得の失敗” → 無為 再起可…

失敗とは看過である

――失敗 というのは―― 要するに、 ――看過 である、と―― 僕は思っています。 ひょっとすると、 ――無為 や、 ――無策 も、 ――失敗 であるのかもしれませんが―― 少なくとも、 ――看過なき無為・無策 つまり、 ――確信犯的な無為・無策 というのは、 (それを「失敗…

失敗の問題に取り組むには――

――失敗の問題とは看過の問題である。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 ここでいう、 ――看過 とは、 ――再起不能になりうる危険性を見落としてしまうこと――あるいは、その危険性を見過ごしてしまうこと です。 よって、 ――失敗の問題 に取り…

失敗の問題とは看過の問題である

――再起可能である“利益獲得の失敗”の問題 は、たいていは、 ――無為の問題 であり、 ――再起可能である“損害回避の失敗”の問題 は、たいていは、 ――無策の問題 である、ということを―― きのうの『道草日記』で述べました。 では、 ――再起不能である“利益獲得の…

それは失敗の問題ではない。無為や無策の問題である

――失敗の問題 とは、 ――誰かの命の問題 であり―― 誰かの命が失われるような状況が無視をできるのなら―― それは、 ――失敗の問題 ではない―― 何か他の問題である―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 一方―― おとといの『道草日記』では、 ――…

命の限定の境界

誰かの命が失われるような状況が無視をできるのか、できないのか―― その一点に、 ――失敗の問題の本質 が詰まっているように思える―― ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 要するに、 ――失敗の問題 というのは、 ――誰かの命の問題 である―― と…

失敗の問題の本質

――失敗の分類 の切り口は3つある―― ということを、7月25日の『道草日記』で述べました。 ――再起可能の失敗か、再起不能の失敗か。 と、 ――利益獲得の失敗か、否か。 と、 ――損害回避の失敗か、否か。 との3つです。 日常生活の感覚に照らしますと、 ――再起…

同じような失敗を繰り返す愛おしさ

――人は、同じことを同じように繰り返していれば、同じような失敗を繰り返してしまう。 ということを、おとといの『道草日記』で述べました。 そんなふうに捉えると―― 同じような失敗を同じように性懲りもなく繰り返してしまう人も、何だか愛おしく感じられは…

同じことを繰り返すのはヒトに限った話ではない

――人は同じことを繰り返すので、同じ失敗を繰り返す。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 同じことを繰り返すのは―― たぶん人に限った話ではありません。 すべての動物にいえることでしょう。 ですから、 ――人は同じことを繰り返すので―― で…

人が同じ失敗を繰り返す理由

――人は同じ失敗を繰り返す。 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。 なぜ人は同じ失敗を繰り返すのでしょうか。 僕は、以下のように単純に考えています。 ――人は同じことを繰り返すから―― つまり―― 人は、放っておけば、あらゆることを繰り返す…