マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

命の限定の境界

 誰かの命が失われるような状況が無視をできるのか、できないのか――

 その一点に、

 ――失敗の問題の本質

 が詰まっているように思える――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 要するに、

 ――失敗の問題

 というのは、

 ――誰かの命の問題

 である――

 ということです。

 

 誰かの命が失われるような状況が無視をできるのなら――

 それは、

 ――失敗の問題

 ではない――

 何か他の問題である――

 

 そう思います。

 

 ……

 

 ……

 

 なぜ、

 ――命

 だけを特別扱いにするのか――

 

 ……

 

 ……

 

 それは――

 第一に、

 ――どの2つの命を比べても同じ命はありえない。

 ということ――

 第二に、

 ――ひとたび失われた命は決して戻ってはこない。

 ということです。

 

 ここでいう「命」とは――

 ひとまずは、

 ――人の命

 に限定をしておくのがよいと思いますが――

 

 それは、あくまでも問題を扱う際の必要性に依るのであって――

 

 ――人の命

 に限定をしないほうがよい状況というのは――

 いくらでも発生をしえます。

 

 その際に、

 ――命の限定の境界

 をどこに定めるのかという点は――

 その、

 ――失敗の問題

 を扱う者の恣意に完全に委ねられてしまうので――

 十分に注意をしなければなりませんが――

 

 そういう、

 ――命の限定の境界

 が、どこかに定められているということに無自覚でいたのでは――

 問題の本質を見誤りかねません。

 

 動物の命を含めるのか、含めないのか――

 植物の命を含めるのか、含めないのか――

 それら以外の生物の命を含めるのか、含めないのか――

 

 そのような境界の設定こそが、問題の本質であったりもするのです。

 

 ……

 

 ……

 

 いま、

 ――人の命

 という限定を緩める方向で述べましたが――

 

 しばしば――

 この限定を絞る方向で論じられることもあります。

 

 自国の民の命に限るのか、限らないのか――

 自国の兵の命に限るのか、限らないのか――

 あるいは、もっと狭い範囲の命に限るのか、限らないのか――

 

 ――命の限定の境界

 が、時の為政者らによって恣意的に設定をされてきた事実は――

 人の歴史が伝える通りです。