マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧

“気分の不自然な浮き上がり”という特異な性質ないし潜在能力を獲得したために

気分の不自然な浮き上がりでもない限り―― 出アフリカやベーリング地峡の踏破などの決死行は成し遂げられなかったに違いない―― ということを―― きのうまでの『道草日記』で述べました。 …… …… この“気分の不自然な浮き上がり”は―― 5日ほど前から『道草日記』…

ベーリング地峡の踏破にも……

――気分が不自然に浮き上がる。 といった“異変”なしには決して成し遂げられなかったであろう決死行の例として―― 約7万年前の、 ――出アフリカ を―― きのうの『道草日記』で取り上げました。 …… …… このような移住は―― ヒトの長い進化の歴史の中では、あちこち…

出アフリカに必要であったこと

――人の気分は、自分の生命が危険にさらされているとき、不自然に浮き上がる。 という命題―― すなわち、 ――人の気分を司る第二原理 と、僕が呼んでいる命題は―― 生物種としての人(ヒト)が、旧来の生息地を捨て、新たな生息地を目指して移住を試みるような場…

それはハッキリいえば「異変」である

もし、 ――人の気分を司る第二原理 というものがあるとしたら―― それは、生物種としての人(ヒト)の生存には、紛れもなく有利に作用している―― ということを―― おとといの『道草日記』で述べました。 …… …… どのように有利に作用しているのか―― …… …… わかり…

なぜヒトだけが絶滅を免れたのか

――人の気分は、自分の生命が危険にさらされているとき、不自然に浮き上がる。 という命題は、 ――人の気分を司る第二原理 と呼んでもよいかもしれない―― ということを―― きのうの『道草日記』で述べました。 そして―― この「第二原理」は、生物種としての人(…

人の気分を司る原理の例外

――人の気分は、自然と沈み込むことはあっても、自然と浮き上がることはない。 という原理――人の気分を司る原理――について―― きのうの『道草日記』で述べました。 …… …… が―― この原理には、例外があります。 それは、 ――人の気分は、自分の生命が危険にさら…

人の気分を司る原理

良いニュースと悪いニュースとがあったら―― まずは悪いニュースから聞くのがよい―― ということを―― きのうまでの『道草日記』で述べました。 …… …… なぜなのか―― …… …… その理由は―― 少なくとも経験的には、明らかでしょうが―― とりあえず―― 理屈をこねてみ…

良いニュース・悪いニュースの掛け合い、もう1つ

――良いニュースと悪いニュースと、どちらから聞きたい? と訊かれたら―― とりあえあず、 ――悪いニュースから―― と答えるのがよさそうだ、ということを―― きのうの『道草日記』を述べました。 そして―― その仮想事例を1つお示ししました。 …… …… きょうは―― …

「良いニュースと悪いニュースとがある」といわれたら――

ニュースには、良いニュースと悪いニュースとがあるけれども―― 実際には、悪いニュースがほとんどである、ということを―― きのうの『道草日記』で述べました。 …… …… 述べていて思い出されたのが―― アメリカの映画やTVドラマなどで耳にする冗談です。 すな…

ニュースに関心をもったほうがよい理由

――ニュース というのは―― 媒体が何であれ―― つまり、ネットであろうが、テレビであろうが、新聞であろうが、雑誌であろうが、ラジオであろうが―― ――良いニュース と、 ――悪いニュース とに分けられます。 そして―― その大部分は“悪いニュース”に分類される――…

「知りすぎて結論を間違える」ということはないが……

――知りすぎて結論を間違える。 ということは―― たぶん、ありません。 が、 ――知りすぎて発信を間違える。 ということは―― たぶん、あります。 …… …… 社会問題に関する結論や発信のことです。 ある社会問題について―― 職業上たまたま背景を深く知りえている場…

心に負担のかかるニュースが――

心に負担のかかるニュースが―― やけに多いのですね。 韓国との間の外交紛争のニュースや―― 京都での凄惨な放火事件のニュースや―― 著名な芸人さんたちの謝罪会見のニュースや―― …… …… こういったニュースに触れると―― 自分とは直接的には関わっていないこと…

今川義元のこと(24)

4歳から6歳まで―― 僕はヨーロッパで暮らしました。 そのせいか―― 日本のことを外からみようとするクセが―― 僕にはあります。 自分が日本人であることをひとまず棚上げにし―― 日本人でないつもりになって―― 日本のことや日本人のことを考えてみる―― そんな…

今川義元のこと(23)

今川(いまがわ)義元(よしもと)も―― 今川氏も―― (かなり日本的ではなかったか) と―― 僕は思っています。 日本人によって好ましく感じられる人物像の平均が今川義元ではないか―― あるいは―― 日本人が年月をかけて作り上げていく組織の典型が今川氏ではな…

今川義元のこと(22)

今川(いまがわ)義元(よしもと)は―― 人の気持ちがよくわかる人ではなかったか、と―― 僕は思っています。 人の話によく耳を傾け―― 人をよく信じ、よく任せ―― 最後の責めは一身に負う―― そんな―― 好人物ではなかったか、と―― 僕は思っています。 そんな好人…

今川義元のこと(21)

今川(いまがわ)義元(よしもと)をはじめとする戦国期・今川氏の研究で定評のある歴史学者の方が―― ご自身の研究を始められた際に―― こう―― いわれたそうです。 ――今川の研究なんかして、何になる? …… …… そう、いったほうの気持ちは―― ある程度わかりま…

今川義元のこと(20)

――今川(いまがわ)義元(よしもと) といえば―― やはり、 ――桶狭間(おけはざま)の戦い でしょう。 ――海道一の弓取り といった異称をキーワードに挙げる向きもありますが―― やはり―― 今川義元を理解するには、桶狭間の戦いを理解するしかありません。 なぜ…

今川義元のこと(19)

今川(いまがわ)義元(よしもと)の子・氏真(うじざね)の為人(ひととなり)や生き様について―― ここ4日間ほど―― 『道草日記』で述べてきました。 …… …… 今川義元のことを語るのに―― なぜ―― 子・氏真なのか―― …… …… それは―― 今川氏真の為人や生き様の中…

今川義元のこと(18)

今川(いまがわ)義元(よしもと)が―― 仮に桶狭間(おけはざま)の戦いで殺されなかったとしても―― その子・氏真(うじざね)が―― 今川氏の広大な領土を徳川家康に禅譲したに違いない―― という話を―― 3日前の『道草日記』で述べました。 …… …… その理由は―…

今川義元のこと(17)

今川(いまがわ)義元(よしもと)の子・氏真(うじざね)が―― 戦国大名として、すこぶる不人気であることは―― きのうの『道草日記』で述べました。 …… …… 今川氏真が、現代人から不人気である理由は―― きのうの『道草日記』で述べた通りですが―― 同時代人お…

今川義元のこと(16)

今川(いまがわ)義元(よしもと)は―― いわゆる戦国大名としては、いま一つ人気がありません。 あの織田信長が相手であったとはいえ―― あっさり戦場で殺されてしまったのが原因でしょう。 その子の今川氏真(うじざね)にいたっては―― さらに輪をかけて、人…

今川義元のこと(15)

もし―― 今川(いまがわ)義元(よしもと)が、織田信長の器量を的確に見抜き、織田信長とは戦わずに手を結んでいたらば―― 今川氏は、その後も戦国の世を十分に生き残っていったに違いない―― という結果論――あとづけ論――を―― きのうの『道草日記』で述べまし…

今川義元のこと(14)

――今川(いまがわ)義元(よしもと)は、外れにしかたどりつけないアミダくじを作ってしまったのではないか。 ということを―― きのうの『道草日記』で述べました。 …… …… もう少し具体的に述べましょう。 …… …… 今川義元は―― 今川氏の生き残りを考え、半ば苦…

今川義元のこと(13)

今川(いまがわ)義元(よしもと)のことについて―― この『道草日記』で連日、述べてきました。 今川義元は歴史の人物です。 そして―― 歴史は人文や社会の教材です。 さて―― 僕らは―― 今川義元のことを教材にして―― いったい何を学べばよいのでしょうか。 ………

今川義元のこと(12)

コンピュータ・ゲームのなかで―― 今川(いまがわ)義元(よしもと)が、若き日の徳川家康に向かって、 ――まろに代わって天下をとろうとな? と質すシーンについて―― きのうの『道草日記』で触れました。 …… …… 今川義元と徳川家康―― この2人は―― 20ほど歳が…

今川義元のこと(11)

今川(いまがわ)義元(よしもと)は―― あの織田信長に桶狭間(おけはざま)で敗れて死んでいることから―― どうしても、織田信長の引き立て役に終始しがちですが―― それは―― 小説やマンガ、映画、TVドラマなど―― 史実を弄りにくい媒体に限った話です。 コン…

今川義元のこと(10)

今川(いまがわ)義元(よしもと)は、桶狭間(おけはざま)の戦いの直前―― 自ら大軍を率いて出立する際に、 ――いいようのない不安に苛まれながらも、何とか自分自身を奮い立たせて輿に乗っていたのではなかったか。 との推測を―― きのうの『道草日記』で述…

今川義元のこと(9)

今川(いまがわ)義元(よしもと)は―― なぜ、卓越した軍略家であった雪斎(せっさい)を失って、なお尾張(現在の愛知県西部)の制圧に乗り出したのか―― この問いに対し、 ――今川義元には人を見る目がなかった。 という答えや、 ――今川義元は自分の軍略の才…

今川義元のこと(8)

今川(いまがわ)義元(よしもと)が今川氏に最大領土をもたらしたのは―― 雪斎(せっさい)という軍略に長けた人物を重用し、信頼していたからである―― という話を―― きのうの『道草日記』で述べました。 …… …… もし、そうであるならば―― なぜ―― 今川義元は…

今川義元のこと(7)

今川(いまがわ)氏に最大領土をもたらしたのは―― 今川義元(よしもと)ではなく、雪斎(せっさい)であった―― という話を―― きのうの『道草日記』で述べました。 …… …… このような話には―― とりあえず2つのことに注意が必要です。 一つは―― いわずもがなの…