今川(いまがわ)義元(よしもと)の子・氏真(うじざね)の為人(ひととなり)や生き様について――
ここ4日間ほど――
『道草日記』で述べてきました。
……
……
今川義元のことを語るのに――
なぜ――
子・氏真なのか――
……
……
それは――
今川氏真の為人や生き様の中に、
(今川義元の本意が滲み出ているのでは?)
と――
僕が感じているからです。
……
……
しかも――
ただの親子ではありません。
今川氏真は――
今川義元の跡継ぎとして、大切に育てられました。
そして――
今川義元自身――
子・氏真の行く末を大いに案じていたと考えられます。
桶狭間(おけはざま)の戦いの直前に――
今川義元は、子・氏真に今川氏の家長の座を譲っています。
今川義元39歳――
今川氏真20歳――
のことでした。
父・義元の狙いは――
家長の座を譲ることで――
今川氏の本拠地周辺の政務を任せ、経験を積ませることにあったようです。
戦国の世にあって、和歌や蹴鞠にのめりこむ我が子を――
苦々しくも愛おしく思っていたのではないでしょうか。
ひょっとすると、
――このような生き様も、これからの世では、ありうるのやも知れぬ。
くらいのことを思っていたのかもしれません。
――かなうことなら、余も、氏真のように、日々の暮らしを楽しんで生きたかった。
と――
……
……
一方で――
子・氏真は、父・義元に対し――
どのような思いを抱いていたか――
ほとんどの親子が、そうであるように――
父・義元が生きていた間は、複雑な思いを抱いていたに違いありません。
が――
死んだ後では――
少しずつ違っていったことでしょう。
少なくとも――
父・義元の最期を鑑みて、
――なんとも、おいたわしいこと――
くらいには思っていたのではないでしょうか。
――世が世なら、決して、あのような最期を迎える方ではなかったはず……。
と――
……
……
子・氏真は――
父・義元の中に、和歌や蹴鞠を愛し、現世を楽しんで生きようとする性向を感じとっていたのではないでしょうか。
それゆえに――
あえて織田信長の前で蹴鞠の芸を披露したのではないか――
それは、
――桶狭間で討ち死にを遂げた父だけが、父なのではない。
との思いが吐露された結果なのかもしれません。
あるいは――
父親の仇に向かって、
――そなたが父を討ち取ったのは戦の習いに過ぎず、それを恨みに思うような父でもない。
との意思を言外に示すことで――
父・義元の無念をいくらかでも晴らしたかったのではないか――
そう思います。