マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

今川義元のこと(20)

 ――今川(いまがわ)義元(よしもと)

 といえば――
 やはり、

 ――桶狭間(おけはざま)の戦い

 でしょう。

 ――海道一の弓取り

 といった異称をキーワードに挙げる向きもありますが――

 やはり――
 今川義元を理解するには、桶狭間の戦いを理解するしかありません。

 なぜ――
 今川義元は、桶狭間で取り返しのつかない失敗――再起不能の失敗――をしてしまったのか――

 ……

 ……

 7月4日の『道草日記』で述べたように――
 僕は――
 今川義元は、人を見る目がなかったわけでも自分の軍略の才覚を過信したわけでもなく――
 ただ、他に選択肢がなかったために、何となく桶狭間の戦いに臨んでしまった――
 と考えています。

 ――いいようのない不安に苛まれながらも、何とか自分自身を奮い立たせて輿に乗っていた。

 と――
 7月4日の『道草日記』で述べましたが――
 その「いいようのない不安」とは、

 ――自分で明確には意識できていなかった不安

 です。

 いわゆる、

 ――嫌な予感

 とか、

 ――胸騒ぎ

 とかいった類いの感情です。

 この不安を生み出したのは、

 ――生き方の迷い

 ではなかったか、と――
 僕は思います。

 すなわち、

 ――後年の今川氏真(うじざね)のように、ただひたすら人生を享受することに専念をする生き方

 をとるか――
 それとも、

 ――戦国大名としての特権を享受する代わりに、戦国大名としての責任を全うしようとする生き方

 をとるか――
 そこに迷いがあったままで――
 今川義元桶狭間の戦場に赴いてしまったのではないか――
 ということです。

 生き方に迷いがあれば――
 人は、どうしても中途半端なことをしてしまいがちです。

 そして――
 そういうときに限って――
 人は、しばしば取り返しのつかない失敗をしてしまう――

 ……

 ……

 今川義元は――
 四十路に入ってすぐに桶狭間で戦死しました。

 ――四十にして惑わず

 といいますが――
 おそらく――
 今川義元不惑の胸中には達していなかったのだと思います。

 その遅れを――
 誰が責められましょうか。

 五十や六十なら、ともかく――
 四十をすぎて、ほんの1~2年ですから、

 ――未熟

 といって切り捨てるのは辛辣にすぎるでしょう。

 が――
 そのことが――
 今川義元の失敗を些少にするわけではありません。

 今川義元の失敗から学べることは――
 現代社会においても――
 決して看過できないのです。

 それは――
 一言でいえば、

 ――生き方の迷い

 の恐ろしさです。

 ――生き方に迷いがあるうちは、まずは、その“迷い”を直視すること

 そして、

 ――生き方に迷いがあるうちは、嫌な予感や胸騒ぎを大切にすること

 以上の2点です。